養護学校全入制の現状 

―就学免除猶予と訪問学級―

福本良之

 

障害児が社会でどのように生活していくのかということを医療者が知ることは、彼らのより良い予後の確保のためにも極めて重要である。そして、障害児にとって身近な社会は、いわゆる健常児と同じように教育の場である。しかし、障害児にとって、身近な社会である教育の場は、永らく近くて遠い存在であった。今でも、少数にはなったが、教育の場から遠くに置かれている障害児もいる。

障害児のより良い社会的予後を実現するために、障害児がどのように教育の場に登場してきたのかを概観し、さらに最重度の障害児を基本的に対象としている訪問教育(訪問学級)をみていくことにする。

 

Ⅰ.インクルージョン

 障害児教育の歴史は、除外から始まった。日本だけに限らず、アメリカにおいてもそ同様であった。障害児が制度的に教育を受けることが出来るようになると、特殊教育学校(盲・聾・養護学校=以下養護学校)の存在が問題とされた。障害児も養護学校ではなく、通常学校で教育を受けるべきではないかという主張がなされるようになり、今日では、インテグレーション、インクルージョンの必要性が強調されている。また、自閉症、アスペルガー障害、ADHDLDなど当初養護学校等の特殊教育の予定していなかった子どもたちの存在が、側面でインクルージョンの必要性を補強している。

 インクルージョンは、単に障害児を通常校に統合していくというだけではなく、すべての子どもの教育を意識している点で、障害児教育を含め、教育そのものの改革を目指している点で大きな意味を持っている。

しかし、インクルージョンという語の意味は一つではない。冨安によると「インテグレーション(integration)という用語が10年ほど前まではよく使われ、日本では統合と訳されてきた。現在でもまったく使われていないというわけではないし、その言葉の意味はインクルージョンとさして字義的には異なるものではないが、これは特に北アメリカの人々によって、インクルージョンに改められつつある。」1と述べられているが、ミットラーによると「これらの用語が時には相互置き換えができるように使われるとしても、それらの間には価値と実践において真の違いがある。」2と述べられている。

このようにインテグレーションとインクルージョンの意味に関しては論者により隔たりがある。それを承知で違いを簡単にいうと、前者は「障害児」と「健常児」を分けて捉えた上で、障害児を通常の学校に統合しようとするものといえる。後者は、すべての子どもは各々独自の教育のニーズを持つ存在として捉え、子どもを一元論的に包み込むという意味で用いられている。

ある教育系大学院のオリエンテーションで、障害児教育講座の教授が「もうインテグレーションの時代ではありません。世界はインクルージョンの時代です。」と、声高に話していたが、定義も定まりかねている段階で、そのように単純に言うことはできない。安藤も「わが国でも、このインクルージョンが米国でも主流になりつつあるかのような紹介がなされているが、インクルージョン運動の全米的な広がりはあるのであろうか。」3と問題提起した上で「インクルージョンは、米国の特殊教育のほんの一部を占めているに過ぎず、ごく最近登場したばかりであると言える。」と指摘している。

アメリカにおいて、すべての障害児が教育を受けることが出来るようになったのは、全障害児教育法(1975年)以降である。その後、形式的な統合教育とその失敗の中から、インクルージョンが出てきたのである。

一方、イギリスのミットラーは、インクルージョンをより広範な視点から眺めている。彼によれば、イクスクルージョン(社会的除外)が存在するからインクルージョンが今日世界的に求められるとしている。除外されているのは、障害児に限らない。人種、性別、貧困、言語等、により社会的に除外されている人々の存在が前提となっている。そして、学校のインクルージョンは、社会的インクルージョンの一つの面であるとしている。ミットラーは、インクルージョンによってもたらされる利益は除外された子どもに限定されるのではなく、すべての子どもの上に存在すると考えている。子どもをすべての子どもと一元的に考えているのであるから当然である。こうした見解には、イギリスの事情も影響している。イギリスでは、例えば、英語を第一言語としない人々の存在が、日本よりも大きな問題となっている。また、それゆえに、事実上、教育から除外されている子どもが多く存在し、同時にそれは貧困ともつながっている。

 ミットラーのいうインクルージョンの理念は、日本の公教育においても異論のないところであろう。なぜならば、日本国憲法は、人間の尊重(個人の尊重)を最高価値とし、「障害児」「健常児」という区別は、日本国憲法においては「人間」という上位概念に包摂されているからである。

問題は、その理念を具体的に、どのように教育制度に置き換えるかである。日本でインクルージョンが語られるとき、それは統合教育を意味することが多い。そして、養護学校は、障害児を隔離・分離するものだと指摘される場合もある。確かに、障害児を含めすべての子どもが、各々が必要としている教育を、地域の学校で対等な関係性を築きながら受けることが最善であるから、その指摘は、ある意味で的を射ている。

ただ、少なくとも養護学校と同程度の教育内容が確保できるという前提が必要である。しかし、日本の現状は、その前提を満たしているとはいい難い。統合教育に携っているある教員が「地域の学校に通って地域の子どもと暮らすのか、それとも養護学校で手厚い保護をうけるのか、それを選択するのは保護者」と語っているように、地域の子どもたちと障害児が通常校で学ぶとすれば、教育環境内容の不十分さは承知しなければならないのである。地域を重視するか教育環境内容を重視するかの二者択一を障害児と保護者は迫られることになる。このように、適切な準備が十分になされることなく、ただ単に通常学校の通常学級(普通学級)に障害児を在籍させるのであれば、統合だけが目的化し、はたして児童生徒(障害児)の最善の利益が第一に考えられているのか疑問が生じる。

 素晴らしい理念があれば、それに向けて現状を改善しなくてはならない。しかし、それは、拙速を許容するものでは決してない。なぜならば、教育は理念だけで終始するものではない。物的資源・人的資源などを含む社会的環境の整備を伴わなければ、今日の公教育は実現できない。そうした条件(完全を意味するのではなく最低限)が整わない間に、理念先行で行うことは、多くの場合、子どもに不可逆的(取り返すことのできない)損失を被らせる。仮に、その失敗例(不可逆的損失)から、将来の子どもたちが多くを学ぶとしても、許されるべきではない。教育も医療同様、将来の人々のために現在の人々が犠牲になることはあってはならない。

 その点、福祉先進国といわれるこれら北欧諸国の教育のあり方は、日本にとっても十分参考になる。ノーマライゼーション発祥の地デンマークについて、杉本は「1980年の前半に、この考え方(ノーマライゼーション)の基本である『脱施設化』『統合』という理念に疑問が出されはじめました。」4と記している。また、スウェーデンはかつて養護学校がなくなっていった時期があったが今では事情が変わり、重度重複障害児の養護学校も新設されていると、杉本は記している。重度重複障害児に対応できる環境が通常学校に実現されない段階で、通常学校に一本化すれば、彼らの生命身体に重大な危機を生じさせる場合もある。そうでなくても、ただ教室に健常児と一緒にいるだけで、事実上「放置」「お客様化」される場合もある。これでは、ダンピング(投げ込み統合)といわざるをえない。

 ミットラーは、インクルージョンは到達すべき目標ではなく、目的を持った旅であると述べている。それは、学校を統合することが目標ではなく、すべての人間は、子どもも含め各々違った存在であり、その違いを認めた上で、すべての人間すべての子どもとして包含できる社会の実現への過程である。とすれば、形式的な統合教育を目標にするのではなく、すべての子どもは各々の必要とする教育および援助を持っており、それを実現できる学校、社会を目的とすべきことになる。

 このようなインクルージョンの理念を持ちつつ、日本における障害児教育を見ることにする。その際、重要となるのは、障害児が除外されているかという視点である。具体的には、養護学校全入と訪問教育について検討することする。

 

 

Ⅱ.養護学校全入

 

1.養護学校義務制

すべての障害児が、制度的に無条件で教育の場に登場したのは1979年である。

養護学校は「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置に関する部分の施行期日を定める政令」(昭和481120日政令第339)により、義務制に移行した。この義務制の意味は、一つには、学校教育法(以下法) 221項に規定する保護者(親権を行う者または未成年後見人)の就学させる義務である。もう一つは、都道府県の養護学校設置義務である。この二つの義務化をさして養護学校義務制と呼んでいる。そして、この養護学校義務制により、障害児は制度的には無条件に教育の機会を得たのである。

 

2.義務制以前 ―障害児はどこの学校へ―

 1979年に義務制になるまでも、障害児(知的・肢体不自由)は通常学校の特殊学級通学していた。1955年には、小中学校の特殊学級に7,974人の知的障害児が通っていた。その後、1975年には113,605人に増加し、養護学校が義務制になる1979年には93,647人が在籍していた5

義務制となる1979年以前にも通常学校の通常学級に通学していた障害児も存在していた。しかし、当時は「障害児も地域の学校へ」という運動が始まったばかりで、一般的ではなかった。

 このように義務制に移行する以前にも障害児は、特殊学級や通常学級に通学していたが、すべての障害児が教育の場に無条件で登場していたとは考えられない。そのことは、就学免除猶予をみれば明らかである。障害児の就学免除猶予をみる前に、就学免除猶予の意味と歴史的沿革を概観しておく。

(1)就学免除猶予とは

就学免除猶予は、法第23条に「前条の規定によって、保護者が就学させなければならない子女(以下学齢児童と称する。)で、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の教育委員会は、文部科学大臣の定める規程により、前条第1項に規定する義務を猶予又は免除することができる。」と規定されている。就学義務のあるもの(通常は両親)に対し、一定の要件の下、子女を就学させる義務を免除または一定期間猶予するものである。

22条によって規定される保護者の就学させる義務(以下就学義務)は、憲法第26条第2項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」の授権により定められている。

憲法第26条で規定されている教育を受ける権利は「日本国憲法がその二六条において、国民に“教育を受ける権利”を保障したのは、制度的には、個人の尊重と法の下の平等という人権保障の憲法原則を規定した1314条の趣旨を教育の面にも普及し、教育を受ける機会均等を国民にあまねく保障しようとするためである。」6と述べられているように、個人の尊重と直結している重要な権利である。教育を受ける権利は、全ての国民に保障されているが、その性質から第一義的には子どもに向けられていると考えられている。しかし、教育を受ける権利が、子ども自身によって十分に行使されるとは期待しにくい。とりわけ、義務教育期間においては子どもの幼さと未成熟さから、その傾向は強いものと思われる。そこで、子どもの教育を受ける権利を実効あるものとするために、保護者の就学義務を同条第2項で規定しているのである。こうした意味を持つ就学義務を、免除あるいは一時的に猶予するのが、法第23条の就学猶予なのである。

(2)就学猶予と就学義務期間

文部省は、就学猶予による就学義務期間の変動につき、初等中等局長名で「就学義務が猶予された場合にも、満15才に達した日の属する学年の修了とともに当該義務はなくなる」(昭和28515日回答)としている。つまり、就学義務期間は、子どもの生活年齢に対応し、満6才になった次の41日から進行を始め、満15才に達した日の属する学年の修了とともに就学義務は消滅するのである。例えば、就学猶予3年したら10歳から18歳までが就学義務期間となるのではなく、15歳で就学義務期間が終わるということである。したがって、就学猶予で年齢超過となった者を入学させる義務も学校側には存在しないことになる。実際、学齢期に学校教育を受けることができなかった障害者が、成人後入学を希望したが断られるというケースも存在した。

このように、就学義務からみると就学猶予も、就学義務期間の進行の停止がないので、実質的には就学免除と変わらないことになる。ただ、就学猶予は就学義務期間の免除に期間を付しているだけである。

結局、就学免除猶予は、子どもの教育を受ける権利の保障を弱くしていると考えられる。

(3)就学免除猶予の歴史的沿革

就学猶予が、教育法令上に初めて登場するのは、1886年(明治19年)の小学校令においてである。同令5条に「疾病家計困窮其他止ムヲ得サル事故ニ由リ児童ヲ就学セシムルコト能ハスト認定スルモノニハ府知事県令其期間ヲ定メテ就学猶予ヲ許スコトヲ得」(明治19410日勅令第14号)と就学猶予について規定している。経済的理由も就学猶予の理由となっていた。就学免除が、登場するのは、1890年(明治23年)の改正小学校令21条である。

戦前は、白痴、瘋癲、疾病、発育不完全、家計困窮7等が就学免除猶予の事由となっていた。

 日本国憲法下においても、就学免除猶予の規定は、法第23条に残存した。しかし、就学免除猶予が、日本国憲法の規定する教育を受ける権利に反するのではないかという指摘が、教育法の分野でなされてきた。

(4)障害児と就学免除猶予―戦後―

 戦前の小学校令、国民学校令とことなり、法第23条が規定する就学免除猶予の事由には、「病弱、発育不完全その他やむを得ない事由」を挙げているが「白痴、瘋癲」など障害を直接示す事由は列挙されていない。しかし、実際の就学免除猶予では、知的障害や肢体不自由を理由としている場合が多く存在している。

1 就学免除猶予者数と理由および養護学校数と在籍者数

年度

学校数

在学者数

就学免除

就学猶予

総数

肢体

知的

病弱

総数

肢体

知的

病弱

1955

5

329

6,428

1,677

2,705

1,160

26,202

3,421

4,874

14,003

1965

151

13,921

9,685

2,703

5,103

1,010

12,698

2,353

5,358

3,238

1975

393

33,211

5,584

1,928

2,972

281

7,504

1,425

3,751

904

1979

654

56,796

960

382

336

63

2,424

530

926

323

2004

822

48,353

990

7

1

7

1,271

11

35

49

(学校数は、幼稚部・小学部・中学部・高等部および分校の総数。在学者数は、小学部および中学部の児童生徒数である。)

 就学免除者中における肢体不自由児・知的障害児の占有率の義務制以前の推移は、55年度68.2%(実数4,382人)、65年度80.6%(7,806人)、75年度87.8%4,900人)となっている。義務制以後は、79年度74.8%(718人)、04年度0.8%(8人)である(表1参照)。養護学校義務制以後、就学免除者における肢体不自由児・知的障害児の占有率は、実数とともに激減している。さらに、養護学校数と在学者数に着目すれば、養護学校数の増加に反比例する形で、肢体不自由児・知的障害児の就学免除が低下していることがわかる。この傾向は、就学猶予においても同様である。

このように、肢体不自由児・知的障害児の多くは、就学免除猶予という合法的な形で、教育の場から除外されていた。確かに、財政上の問題という側面は否定できないが、この事実は、障害児という存在が社会情勢(政治・経済)に左右され後回しにされやすいということの一つの証左でもある。

 さらに、これらの事実は、養護学校義務制以前において障害児は通常学校(含む特殊学校)や養護学校に通学する者もいた反面、多くの障害児が学校に通学できなかった(不就学)ということを語っている。その時代を知る障害児の母親は「毎年、春になると郵便受けが気になりました。そして、ああ今年も学校に行けなかった。だから、通知(入学)が来たときは泣きました」9と語っている。養護学校義務制に関しては、障害児を差別選別するものであるとして反対する意見も義務制移行当時から存在した。しかし、少なくとも教育の機会を制度上、無条件に障害児に提供したという限りでは、養護学校義務制を積極的に評価すべきである。しかし、このことは、障害児の教育に関しては、始まりであって終わりではない。言い換えるならば、障害児の教育は、制度上無条件に障害児が教育の場に登場した1979年になってようやく開始されたということである。

(5)今日的就学猶予 ―超低出生体重児の就学猶予の妥当性と危険性―

超低出生体重児(出生時体重1,000g未満)の就学猶予は、より良い教育を子どもに受けさせようという積極性な意図と、教員が関知しない中、医師が中心となってすすめてきたという点に特徴がある。超低出生体重児の就学猶予の黎明期といえる1990年代後半から2000年にかけて、超低出生体重児の保護者と教員の認知度は低かった。筆者が行った調査10では、超低出生体重児の就学猶予を知っていると答えたのは、保護者で5.6%、教員で16.3%であった。

文部科学省も、調査官が「ハイリスク児フォローアップ研究会」の第5回神戸大会(2000423日)で「文部科学省としては超低出生体重児の就学猶予に関する調査は実施していない」と語っているように、教育行政当局も実態把握には至っていなかった11

この時点で、少なくとも、超低出生体重児として生まれたことを理由とする就学猶予を調査で把握していたのは、「超低出生体重児の6歳時予後に関する全国調査」を実施した医師であった。「就学状況をみると、548 例中、普通学級への就学予定者は456 例(83.2%)であり、障害児学級が27 例(4.9%)、養護学校が29 例(5.3%)、就学猶予児が5 例(0.9%)、未定が31 例(5.7%)となっている。」12と、超低出生体重児の就学猶予についても述べている。

 このような状況の中、国立特殊教育総合研究所病弱研究部長(当時)の原は、就学猶予を推進する立場から、極低出生体重児の就学猶予に関する3原則を示している。「(1)出産予定日に出生していたとすると次の学年になるはずの小児。超低出生体重児に限れば、たいていの早生まれ(出生月が13)の児が該当する。(2)小柄で45歳児程度の体格の小児。身長あるいは体重が年齢基準値の3パーセンタイル以下であれば該当すると考える。(3)肺機能が未熟な小児。運動時の呼吸困難などの慢性呼吸不全の症状が確認されることは少ないが、5歳児以上かつ身長100㎝以上となった時点から肺機能検査を実施し、参考にする。」13これらの3原則が、どのような根拠で定立されているのかが不明である。しかし、それ以上に、就学猶予の児に及ぼす有効性を医学的にも教育的にも立証した上で、就学猶予を是としているのであろうか、疑問の残るところである。

さらに、原は「前述の3原則のすべてにあてはまる小児には、5歳検診の頃より、著者の方から就学猶予の説明をして、保護者に検討を促した。また、保護者から相談があった場合は、3原則のどれかにあてはまるならば、就学猶予を勧めるようにした。」と述べているが、なぜ、保護者からの申出があれば、3原則のどれかにあてはまれば就学猶予を勧めるのであろう。そのようなあいまいなものであれば、3原則を打ち出す意味がそもそも存在しない。実際、西日本での超低出生体重児の就学猶予においては、原の3原則はなし崩しになっていた。しかし、原の定立した3原則は、それらの就学猶予に大きく影響していた。

このような形の就学猶予の3原則であるので「7例の自験例に共通して言えることは、就学猶予をしての不都合は現状では何もないということである。もっとも、6歳の時点で就学していたならばどのような現在があったか、比べようもない。」と原が述べざるを得なかった。これでは就学猶予をあえて行う意味がない。

 就学猶予の効果に疑問を生じさせる報告がある。「明らかに障害のない極低出生体重児を対象に就学前および1年後、3年後にIQ検査を行いその変化をみた。IQ100未満であった13例(超低出生体重児が9例)中12例は就学後にIQ値の上昇がみられ、平均IQ85.4 95.5 101.5と上昇していた。なお、就学前にIQ100以上であった11例については就学後の平均IQ値の上昇はみられなかった」14。この報告は、就学前IQ100未満の児における、就学後のIQの変化につき数値をあげて述べている。対象数は13名で、そのうち9名は超低出生体重児であった。就学を境に、13名中12名において、IQが上昇したと報告している。

さらに同報告は、「就学後は次第に学校生活が知的発達に及ぼす影響が大きくなり、家庭環境の影響が相対的に小さくなるため、IQの差が小さくなる可能性がある。この発達に及ぼす環境の影響への対応策としてearly intervention (早期介入)の必要性が本邦でも最近強調されており、具体的な介入方法や効果判定について現在検討されている」15と述べ、IQの発達に及ぼす家庭環境の影響と早期介入について指摘している。「学校生活が知的発達に及ぼす影響が大きくなり、家庭環境の影響が相対的に小さくなるため、IQの差が小さくなる可能性」の存在は、就学猶予がIQの変化においては逆効果を示すことを示唆している。この点からも、超低出生体重児の就学猶予の効果は疑問である。

 超低出生体重児の就学猶予は、超低出生体重児として生まれた子どもたちへのより良い教育の提供という医師の積極的な意図でなされたものである点で評価できる。しかも、教育という他の専門領域にかかわる事柄を医師だけで推進しようとした点で拙速であったといわざるを得ない。

 超低出生体重児の就学猶予に関しては、就学猶予中の子どもの場(幼稚園、保育園、自宅)をどこに求めるのかなど、医療ではなく教育がかかわるべき事柄も多く含まれている。また、入学後、年齢が当然1歳上になるのだが、そのことで子どもが嫌な思いをすることもある(実際に「8歳のサル」と年長を皮肉った言葉を浴びせられた事例もある)16。そうしたことに対応するのは、教員である。このように考えると、超低出生体重児の就学猶予は、医療と教育が連携できなかった一つの例といえる。

 現在も、就学猶予を行う超低出生体重児がいるが、就学猶予という形ではなく、就学年齢が固定されていることの合理性の存否からアプローチしていくということも可能ではないだろうか。そして、子どもが小さく生まれたことに対する保護者の不安を軽減し、超低出生体重児として生まれた子どもにより有効な教育を、保護者と教師と医師で協働しながら追及していくことこそが必要ではないかと考える。

 

3.養護学校義務制以後 ―通学状況から見た養護学校空白地域―

 養護学校が義務制に移行したということは、制度上就学できるようになったということであり、実際に家庭から通学できるとは限らない。

(1)養護学校の平均校区面積

 養護学校総数は、2004年現在、822校である(表1参照)。このうち小学部は750校に設置され、中学部は751校に設置されている。小学校(通常学校)は、国公私立あわせて23,420校存在する。日本の面積は377,873.06㎢(2000年国勢調査)である。これを小学校数と養護学校小学部数で除すると、平均校区面積(単純平均)は公立小学校16.1㎢、養護学校459.7㎢となる。養護学校の平均校区面積は、公立小学校の約28.6倍の広さとなっている。この平均校区面積の広さを見ると、知的障害、肢体不自由という障害のある児童生徒が通学可能なのか疑問に思われる。

(2)通学状況

 養護学校の平均校区面積は、肢体不自由、知的障害、病弱の各養護学校の合計数で日本の面積を除したものである。しかし、一部の地域・学校を除き、各養護学校の対象児童生徒は、肢体不自由の養護学校は、肢体不自由の児童生徒。知的障害の養護学校は知的障害の児童生徒。病弱養護学校は、病弱の児童生徒生徒である。したがって、実際に障害のある児童生徒の入学できる養護学校の平均校区面積(実質的平均校区面積)はさらに広がると考えられる。

そこで、実質的平均校区面積を北海道、千葉、兵庫、福岡の知的障害養護学校を例に、見ることにする。これら4道県をとりあげた理由は、第1に総人口が500万人台であること、第25歳から14歳までの人口が50万人台であること、第3に政令指定都市を含んでいる点で共通しているからである(表2参照)。

2 北海道・千葉・兵庫・福岡の比較 2000年国勢調査 

 

北 海 道

千 葉

兵 庫

福 岡

年齢別人口514

554,088

569,470

561,250

509,726

人口密度

72.5

1,149.4

661.4

1,009.0

面積(㎢)

83,453.04

5,156.19

8,392.03

4,971.01

 

 2004年における北海道の知的障害の養護学校(高等養護学校および休校中を除く)は、22校(分校含む)である。同様に、千葉22校、兵庫17校、福岡17校である。これら4県の知的障害の養護学校の実質的平均校区面積は、北海道3,793.3㎢、千葉234.4㎢、兵庫493.6㎢、福岡292.4㎢である。北海道の実質的平均校区面積が、他の3県よりも著しく広いことが分かる。北海道の実質的平均校区面積は、60km四方を超えている。

 確かに、養護学校では広い校区を有するので通学バスを運行している。しかし、障害のある児童生徒の実態を考えれば、通学バスの乗車時間にも限界がある。養護学校の校長Cは「スクールバスで通学するとしても、子どものことを考えれば50分ぐらいが限度ではないか」と語っているように、北海道の実質的平均校区面積の広さは、通学バスをしても通学可能範囲(自宅からの)を超えていると思われる。この推測を裏打ちするように、全国特殊学校校長会の調査でも、北海道の通学バス保有数は、他の3県よりも決して多くない。また、北海道では、車の保有台数が高く、保護者の車で通学させている比率が高い可能性も考えられる。しかし、国土交通省の統計によると、一世帯当たりの自家用自動車数(普通・小型・軽)は、北海道の1.05台に対し千葉は1.06台となっておりその可能性は低い17

 このような実質的平均校区面積のきわめて広い北海道では、障害のある児童生徒が家庭から通学できないケースが多いのではないかと推測できる。そこで、4道県の通学状況をみることにする(表3参照)。国立療養所重心病棟とその他の医療機関は、何らかの医療的ケアが必要と思われる児童生徒が入院入所している。したがって、各県で際立った差異は生じていない。注目すべきは、寄宿舎からの通学者の率である。小学生をみると、他の3県では、1%にも満たないのに、北海道では、10.1%になっている。北海道では、小学校で10人中3人、中学校では10人中5人近くが家庭から離れた状態で養護学校に通学している。

このように家庭と地域から分離された児童生徒が多い理由は、いうまでもなく、家庭からの通学可能範囲に養護学校が存在していないということである。北海道には家庭から通学できる範囲に養護学校が存在しない地域、つまり、実質的養護学校空白地域が多く存在していることが強く推認できる。

3 北海道・千葉・兵庫・福岡の通学状況

2004

寄宿

家庭

施設

国療

医療

合計

小 学 部

北海道

93

10.1%

649

70.8%

135

14.7%

14

1.5%

26

2.8%

917

千葉

7

 0.5%

1,131

86.5% 

92

7.0% 

24

1.8% 

53

4.1% 

1,307

兵庫

1

0.1% 

651

85.8% 

50

6.6% 

6

0.8% 

51

6.7% 

759

福岡

0

0.0% 

1,095

89.5% 

80

6.5%

13

1.1% 

36

2.9%

1,224

中 学 部

北海道

145