愛は盲目

 教師と宗教家ぐらい「信じる」という言葉を吐く人種はいない。しかしこの「信じる」という言葉、教師にはなかなか重宝なものである。「信じる」とさえ言っておけば、後は野となれ山となれ、責任から解放されるのである。僕たち教師が、生徒に向かって「信じているからな。」と言う時は、もうその生徒と関わりあいを持つのが面倒になった時と相場がきまっているのだ。もっとも、一から十まで関わっていたら、教師も生徒もたまったものでない。しかし、「信じる」ですましてはいけない時もある。つまり、生徒を見捨てないために、信じてやらない時もある。そんな時、必ずと言っていいほどトラブルに巻き込まれ、神経をすりへらすことになる。

 中学生の喫煙率は、きっと大人達が想像している以上の割合である。そして、すべての非行の一里塚が喫煙であると言ってもいい。誰にでもある麻疹で終わるにしろ、本格的な非行にはしるにしろ、喫煙を通過することなしにはいきなりシンナーを吸ったりすることはないし、番長と呼ばれる生徒が誕生することもない。言うならば、校内での喫煙を阻止するかどうかが、荒れる学校との分岐点となっているのである。したがって教師も放課後便所を見回ったりする。そして、吸殻が落ちているようだと、早速便所検査を実施する。これは警察の手入れと同じで、現行犯で捕まえなければ効果がない。そこで、生徒と教師のイタチごっこが始まるのである。だいたい二校時か昼休みに行う。普通に便所を見回って捕まるようなドジな生徒は一人もいない。生徒もちゃんと見張りぐらいたてている。そこで、教師も工夫をこらすのである。いざ出動となると二階の職員室から飛び出し、廊下を突っ走り、東端の階段を一気にかけのぼり三階の便所の前に出て、そのまま便所に突入

するのである。こうすると、いくら見張りを立てても合図する暇がないのである。また、実際に現場を押さえなくても教師が走り回るだけでも生徒達への牽制になるのである。

こんな、生徒と教師のイタチごっこをしていたある日、喫煙狩りの網に僕のクラスの生徒がかかった。便所に飛び込むと、二人の生徒が中学生御用達のマイルド・セブン(通称マイセン)を吸っていた。

「なんじゃ、これは。」

煙草を取り上げ、ポケットを調べた。たいてい生徒はポケットにはいれてない。そこで、鞄や教室の後ろの黒板の隙間を調べることになる。この生徒も鞄の中に一箱しのばせていた。二回目ということもあり、厳しく指導しその後親を呼んだ。喫煙をした生徒の話から見張り役がいたことが判った。

「お前、見張り役やったな。」

「ハ、ハイすいません。」

「なんでじゃ。」

「いえ、べつに。」

「べつにやないやろが、あんだけ煙草吸うな言うとるのに、何考えとんや。」

「すいません。」

「脅かされたんか。」

「いえ。」

「ほな、何でや。」

「友達やし、頼まれたから。」

「何をこのボケ。」

どうもおかしい何かある。

「お前も煙草吸うとるな。」

山本の目が少し動いた。

「吸うとるやろが、はっきりせい。」

「ハ、ハイすいません。」

「何処でじゃ。」

「家の便所で。」

「何回や。」

「二回ほど。」

「ほんで、親知っとんのか。」

「ハイ、一度ばれました。」

 だいたい、こういう生徒は好奇心で吸うのである。麻疹である。しかし、麻疹だといってほっておくとそれこそ大変だ。麻疹を麻疹で終わらせてやるのが教師である。指導後、親を呼んだ。

母親があたふたとやって来た。

「実は、山本君家の便所で煙草を吸っておったことがわかりまして。」

「そんなことはありません。」

母親は怒った。

「たしかに便所に灰が少し落ちていたことはありますけど、あれは外でゴミを燃やしていたから。ええ。」

僕は、山本のほうを見ながら

「この子が認めているんですよ。お母さんも知っていると。」

「いいえ、知りません。」

すると山本が

「お母さん知ってるやんか、こないだ。」

息子にそう言われると、

「なんですか先生、先生は生徒の過去をあばきたて、悪い子にしたいんですか。もう、反省も充分しています。」

と言いながら、顔を突き出した。僕の目の前に赤く紅を塗った口が近づいてきた。異様に口がクローズアップされた。端のほうで紅がはみだし、歯に少しついていた。慌てて化粧をして飛んで来たのだろう。

「先生どうなんです。」

山本は、僕に謝りながら言った。

「お母さん落ち着いて先生の言うこときいてぇな。」

僕は息子に感心した。しかし、母親は相変わらずであった。

「もうよろしい。お母さん、あんたとは話せん、帰ってくれ、お父さんと話しする。」

すると、母親は急転直下泣きはじめた。そして、とりすがりながら謝りだした。

「いいや、話せん、帰ってくれ。」

「そう仰らずに、先生。」

山本が

「すいません、こんな母で。」
と言った。

「わかりました、とにかく十分ほどこのようできた息子と話してください。」

そう言って僕はその場から逃げた。

暫くして行くと母親は謝りっばなしだった。そして、最後に

「先生、内申書には。」

「えっ、そんなこと心配してたんですか。」

「はあ。」

「悪いこと書く教師なんていませんよ。第一この子の場合麻疹、麻疹ですよ。なぁ山本もう吸わへんやろ。」

山本は直立不動で

「ハイ、もう二度と。」

母親はまるで自分が煙草を吸ったかのように山本に励まされながら帰っていった。

 こうして、山本の青春のモニュメントは母の涙と共に完成された。





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