我おもう故に我あり

 教師というものは個性的でなければならない。だいたい子供というものは、普通に育っておれば、どの子も皆個性的だ。個性的で自由であるからこそ、そこには未来というものが存在し、可能性が開花する。したがって、その子供と直に接している教師が常識の権化のような没個性的な小市民であっては、せっかくの個性や可能性を埋没させてしまいかねない。もっとも、戦後すぐぐらいの学校には個性的というよりも、むしろ無頼の輩といったほうがいいような強者どもも生息していたようであるが、現在ではそうした強者どころか、個性派と呼ばれる教師の数もめっきり減ったようである、まあ、世は一億総パフォーマンスの時代であるから、教師にもパフォーマンス派はよくいるが、どうも泰斗らしくて厭味がある。個性派というものは本来自分が個性的であるということを、全く自覚していない幸せな異端者のことをいうのではないだろうか。

 僕が以前同じ学年になった八頭先生はまさにその幸せな異端者であった。五十を過ぎたこの御仁は、痩せてはいるが背が高く、骨太であった。顔はというと、ちびた下駄の裏のような形をしており、目も鼻も造作はすべて大まかで、顔だけでも存在感があった。武勇伝も風采に劣らず立派なもので、この御仁を知らない教師は、もぐりと言われるほどであった。仲間うちの麻雀で負けがこむと真夜中にプイと帰ってしまい残された者はしかたなく三人で夜明しという目にあったり、あるいは職員旅行先でいざ昼食という時にたまたま八頭先生の膳にだけ箸がなかったのを

「フン、わしを馬鹿にしとる。」

と一言いうなり同僚がとめる間もなく席を立ったり、忘年会で河豚を食べに行くと

「何、河豚。そんな生臭いもん食えるか。」

と言って一人だけスキヤキの鍋を用意させたりと、まあ何をなさるか予想のつかない御仁であった。

 生徒に対しても垣根のない人で、殆ど学年の生徒の姓名を覚えており、生徒が歩いているだけで、傍に寄っていっては、理由もなく大きな声で呼びつける。しかも、セカンドネームを。生徒が嫌がろうが、逃げようがそんなこと一切お構いなしである。そこで、生徒のほうで八頭先生を見つけると、さっさと逃げていたのである。

 しかし、こういった個性派の真価は、実のところその人物が去ったあと、何かしら心の中に空洞ができたようになってはじめて判るものである。

 僕が八頭先生と二年生を担当していた夏休み、翌年の修学旅行の下見を兼ねて学年旅行で信州に出掛けた。上高地についた僕たちは、ぶらぶら歩きながら時間をつぶしていた。ふと目をやると売店でネクタリンという果物がばら売りされていた。おもしろそうなので僕はそのネクタリンを一つ買った。技術の田村さんは林檎を買った。上高地の自然の中でほおばるネクタリンの味はまた格別であった。

「このナフタリンいけるわ。」

「ナフタリン違う。ネクタリンじゃ。」

と言いながら理科の大山さんが手にとって一口ほおばった。

「ほんまや、いけるな。」

と言うと皆がどれどれと言って一口ずつほおばった。田村さんの林檎も皆にかじられた。八頭先生もすぐ近くにいたが、目上の人に食いさしの林檎をまわすわけにもいかないので、誰もすすめなかった。

 宿につくと早速風呂で汗を流し、夕食となった。まずはビールで乾杯。八頭先生は見かけによらず、アルコールは一切やらないので誰もすすめなかった。否すすめようものなら、その大きな目を見開いて

「ドタマかちわるぞ。」

と怒鳴られるのを知っていたから誰もすすめなかったのである。しかし、この八頭先生にはアルコールなんぞ、全く不要だった。普通の人が酔って少しばかり威勢がよくなったぐらいでは、とてもこの御仁の域には達しない。この日も一番大きな声で一番文句をつけていた。内容は献立に始まり、僕たちと麻雀をして帰りが遅くなり、娘さんに晩飯を食わしてもらえなかった等という八頭先生の十八番とも言うべきものであった。僕たちは互いに顔を見合せながらニタニタしていた。すると音楽の羽田さんが

「おい、オッチャンおちょくったろうや。」

と、これまたワルガキがいい悪戯相手を見つけた時のような、なんとも憎めない顔をして僕たちを誘った。僕たちが、何をするのかと見ていると

「なあ、八頭先生、せっかく来たんや。一杯ぐらい飲みましょうや。」

八頭先生は例の目をギョロッと見開き

「いらん、わしゃ飲まんのじゃ。」

「そんなこと言わんと一杯だけ。」

と、四十前のワルガキは今にも笑いだしそうになりながら言った。

「いらん。」

そう一言いうとプイと横を向いてしまった。僕たちは八頭先生と羽田さんのやりとりを好奇の目で見ていた。

「よろしいやん、さあ一杯。」

と、羽田さんも負けずに頑張った。

「いらん言うたらいらんのじゃ。だいたい今日、わしに林檎くれなんだやろ。」

一同話の急展開に唖然とした。八頭先生はその迫力のある眼で辺りをぐるりと見渡し

「どうせ、わしゃ汚い。入れ歯じゃ。」

普通ならば、これで座が白けるのだが、そこは個性派、暫くするとまた賑やかに一人もりあがっていた。皆ももう慣れたもので何もなかったかのように楽しく食事をすませた。

夕食後、麻雀をすることになった。田村さんと僕が一回目抜けることになったので、学年のマドンナ鎌井さんを誘って土産物屋へ行くことにした。一番客の多い店に行くと、なんと例の林檎を売っていた。田村さんが

「アンコウさん、林檎や林檎。これこうて八頭先生に渡しましょうや。」

とすっかりワルガキになっていた。横で鎌井さんがニコニコしながら聞いていた。袋一杯林檎を買い込んで宿に戻る時、恋人に会いにでも行くかのように心がときめいた。

宿に着くころには、僕たちの心は期待感ではちきれそうだった。早速、麻雀部屋を覗くと案の定八頭先生が負けていて、何時どおりぼやいていた。

「八頭先生、これ食ってください。」

と、袋一杯の林檎を差し出した。ただでさえ麻雀で負けて機嫌が悪いのに林檎である。

「いらん、そんなもん食いとうない。わしゃもう寝る。」

と、言うやさっさと部屋へひきあげていった。なんとなく期待を裏切られたようで三人とも暫くボーとしていた。しかたがないのでまた三人で外に出て、コーヒーを飲むことにした。一時間ほどして宿に戻った。麻雀にでも入れてもらおうと部屋を覗くと八頭先生がニコニコしながら牌を振っていた。そして僕の顔を見るなり

「アンコウさん、今なオヤッパネあがったんや。この手もええやろ。ほんま、今日はついとるわ。バカづきや。わっはは。」

 僕と田村さんはこの日ガッポリかもられた。




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