
すずめ百まで
兎角、昨今の卒業式というのは歌あり映像ありナレーションありで、セレモニーというよりはショウといったほうが相応しいくらいである。所謂「仰げば尊し」の卒業式が必ずしもいいとは言わないが、昨今流行の卒業式が本当に生徒のための式かと言うとそうとも言えない。派手な演出と完璧なまでの生徒の演技で構成された卒業式が、実は先生の出世の糸口に利用されていると言うことはあまり知られていない。先生のなかにはわざわざ新聞社に連絡して自校の卒業式を取材させ、しっかり自分だけ写真つきで記事にしてもらっている輩もいる。そこまで計算されていてはもうお見事と言うほかない。人間何処にいても出世しようかという人物は、我々凡人のおよびもつかないことを考えておられる。
中には、卒業式をビデオにとって生徒に配ろうとしたお方もおられる。かつて組合委員長として民主教育を主張し教育委員会と対立していたその彼の勤務校は貧困家庭の多い地区であった。おそらく公務員の彼にとってビデオデッキなどは今時安い電化製品の一つであったのだろうが、ビデオデッキの買えない生徒にとって卒業式のビデオは、いかように映ったことだろうか。
僕は、中学での初めての卒業式を学年の生徒指導係として迎えた。学校全体の生徒指導もいるにはいたが、彼は警察等関係諸機関との窓口役に徹していて、実際の生徒の指導は学年の生徒指導係に一任されていた。そんな僕にとって卒業式までの道のりは、決して短いものではなかった。それでもなんとか卒業式の一週間前までこぎつけた時、ベテランの生徒指導係の大山さんに
「なんとか、学年も無事にきましたね。もう卒業式も心配ないでしょう。」
と言った。すると。大山さんは
「いや、アンコウさん、最後まで気を緩めたらあかんで、生徒指導が安心したら他の教師も安心してしまう。何が起こるかわからんからな。むしろ、今こそあんたが緊張して他の人引っ張らんとあかん。」
と言った。事実彼の言う通りだ。ここで気を抜いて事件を起こさせば何のために一年間生徒を叱りとばしてきたかわからない。将来に無限の可能性のある生徒に最後の最後で傷をつけるわけにはいかない。僕は、消え入りそうな気力を振り絞って、残された一週間を鬼瓦で通すことにした。
卒業式の前日、学年の若手教師を中心に最後の打ち合わせをした。大山さんの助言をいれ、僕は卒業式後、礼服から普段着に着替え職員室で待機するよう指示した。他校からの万一の襲撃等に際し迅速に対処できるようにするためである。最後の打合せをすませた僕は、幾分かの満足感と空虚さにおそわれながら、一年前の春を思い出していた。僕と大山さんは、生徒指導係として生徒に対し『全員で卒業する』と公約していた。一見当然に思えることだが、現実の中学では、少年院や、教護院に収容されてしまう生徒がやはり存在するのである。僕たち二人はそれだけは何としても阻止したかった。だから、僕は四月の最初の学年集会で吠えた。
「ええか、この学年は今ここにおる皆で、一人も欠けることなく卒業するんや。来年の三月皆で笑ろて校門出ていくんや。そのためには俺ら教師はどんな事もする。それが仕事やからな。ええな、お前ら子供や。子供はゴンタしよる。かめへん、したらええ。しかし、ワルにはなるな、ワルはあかん。ゴンタになれ。ゴンタになってゴンタせえ。かめへん、やったらええ。ゴンタになってゴンタしたらワシがしっかり怒ったる。ワシら教師の手の中でしっかりゴンタせえ。さあけど、よう注意せえよ。ワシら教師の手は残念ながら小さい。その手から落ちんといてくれよ。ワシらの手の届かんとこいったら助けられへん。警察沙汰になったらワシらの力だけではどうしようもない時もあるんや。ワシら教師に怒られても、それだけのことですむ。ゴンタして怒られたらええんや。さあけどワシらの手の届かんとこいったらどうしようもない。皆もしっかりつかまっとけよ。そのためやったら俺ら教師は鬼にでも何でもなったる。恨んでもええ。憎んでもええ。そやけど、皆で卒業するんや。ええな、ゴンタになれ。ゴンタに。ワルには絶対なるな。いや、絶対ワルにはさせん。俺ら教師とお前らとで来年三月笑ろて校門出ていこ。ゴンタになれ。」
と全員での卒業を公約したのであった。この公約以後の絶え間無い生徒達との戦いや、教師間での生徒指導上の対立などが次々に思い出された。そんな、僕を大山さんが体育館に誘った。花と幕で飾られすっかり準備のととのった体育館に教頭が一人いた。
「式場見にきましてん。」
僕がそう言うと教頭は
「どうぞ見て下さい。立派に準備できてますよ。」
と言いながら僕たちに近寄り
「いやぁ、ほんまに二人とも一年間御苦労さんでした。生徒もちゃんとしてるし立派なもんや。さあ、ゆっくり見てください。」
と言って労ってくれた。花で飾られすっかり準備の整った式場を見渡した。無人の卒業生席を見た時、僕は
『ああ、今が俺の卒業式や誰もおれへんけど卒業式や。』
と感じた。
「僕らのやり方まちごうてなかった。」
大山さんは領いた。
「アンコウさん後一日や気合い入れてがんばろ。」
僕と大山さんは体育館を出た。
卒業式は終わった。
しかし、僕はまだ鬼瓦をしっかりつけていた。式後、在校生と保護者は卒業生を見送るため、一足さきに校庭に退場していた。その間にクラス担任が卒業証書を手渡した。僕は自分のクラスを配り終わると前に立って全体の様子を見ていた。すると、最前列の大山さんのクラスの権藤が僕を呼んだ
「先生お願い、最後にもういっぺんだけ怒って、頼むわ先生。」
「お前何考えとんや。今日は卒業式やぞ。」
「さあから、たのんでんねん。もう、怒られへんから。」
「あほちゃうか。せめて卒業式ぐらい怒らんでもええやろ。最後やのに。」
「そんなん言わんと、お願いやから。」
すると、釣り研の部長の赤井までが
「先生、僕も怒って欲しいわ。」
と言いだした。まわりの生徒も同調した。
「しゃあないなあ。ほな、いくぞ。『こら、何しとんじゃ。』これでええか。」
「あかんわ、いっつものやつでないと。」
僕はしかたなく腹に力をいれて怒鳴った。
「こらっ、だぼくれ、しばきあげんぞ。」
体育館に静寂が過った。そして、しばらくして、歓声。
「先生、やっぱりこれでないとあかんで。」
「権藤これで満足か。」
「うん、満足、満足、やっぱりこれでないとあかんわ。先生有り難う。」
結局この学年は最後の最後まで僕の怒鳴り声を要求した。
僕はこの怒鳴り声と共に一年間つけてきた鬼瓦を落とした。