
郷に入っては郷に従え
だいたい学校というところは、よく事件がおこる。小はふざけていてガラスを割るにはじまり、大は椅子で相手の頭を割る等、様々な事件が一年を通して走馬灯のように次から次へと発生する。その度に教師は走り回るのであるが、教師と生徒の信頼関係は意外とそんな中で構築されていくのかもしれない。
二年生を受け持っていた時、もう退職間際の英語の女性教師があるクラスで授業妨害にあった。妨害というより、ボイコットと言ったほうがいいだろう。生徒に質問をしたところ
「わからん。」
と答えたため教師がたしなめ
「もう一度言い直しなさい。」
と言うと
「わからんもんはわからん。」
と言い返したので再度たしなめると、
「うるさいなぁ。」
とふてくされ、周囲の生徒も同調し収拾がつかなくなったというのである。早速、生徒を呼んで指導することになった。指導の過程で生徒の言い分を聞くと、
「私らがなんぼきいても無視するくせに、成績のええ子ばっかり相手する。」
「強い子には何にも言わへんくせに、弱い子にはひつこくネチネチ言う。」
と言うのである。よくよく調べてみると教師にも多分に問題があった。
大抵の場合、生徒がこのような手段にでる時は、その原因は教師の側で作っていることが多い。かといって、なんでも言い分をきいてやると、子供のこと故つけあがらすことにもなりかねない。そこいらの匙加減が肝心なのである。とりあえず、教師反抗をし授業をつぶしたことを指摘するとともに、文句があるなら筋を通せということを指導して、英語の先生と直接話し合わせた。そして学年の教師達がクラス入りして全体指導することになった。暫くすると、隣のクラスから
「中野があほやから悪いんや。」
という大きな声が聞こえてきた。中野とは、その英語教師の名前である。
「誰じゃ、今言うたんは。」
一人の女生徒が出てきた。その子の担任が叱りあげようとしたその瞬間、一緒に飛び出した音楽教師が
「何を言うとんじゃ。」
と言って頬をいきなりビンタした。その音楽教師はとても音楽の先生にはみえず。手なども、漁師を思わせる様な手で、これでピアノ弾いているのかと疑問をもってしまいそうな手であった。だから、その子の頬は、真っ赤に腫れ上がった。
「こら、どういうつもりじや。」
その子はしゃくりあげながら
「中野は中野でもうちのクラスの中野です。」
僕と担任は互いに顔を見合わせて、溜め息をついた。音楽教師はというと、あげた拳の置き所に困ったのか
「違うのなら違うで怒られる前に言え。」
と、変な注意を与え、さっさと退散してしまった。僕と担任はその子を別室に連れていき待機させた。
「アンコウさん、どないしましょ。」
担任は困ったように言った。
「どないするも、こないするもあらへん。謝らんとしゃあないな。そやけど、けっさくやなぁ、ほんま。」
僕が笑うと担任も笑った。結局、僕と担任は音楽教師の代わりにしこたま頭を下げる羽目になった。もっとも、その子が卒業後僕の家に遊びにきて白状したところによると、やはり、あの時の中野は英語教師のことだった。
この生徒達が三年生の二月、ちょうど入学試験の真っ最中、またしても英語科に事件が発生した。
久し振りの空き時間であった僕は、コーヒーをすすり、煙草をくゆらしながら、卒業式までの日数を数えていた。突然、入口の戸が開かれ
「もういやや。頭にくるわ、先生。」
と言って三組の委員長が飛び込んできた。
「お前、どないしたんや。」
「俺むっちゃ腹立つ。」
「判らんやろが。まあ、おちついて判るように言え。」
「今、英語で外人講師来とんやけど、クラスのやつらチャイム鳴ってもうるさいから、俺注意してん。委員長やし。ほんならあの外人俺とこ来て『うるさい、だまれ』言いよんねん。そやから、『注意してるんです』言うたら、いきなり黒板拭きで頭殴りよんねん、あのオバハン。」
委員長は頭を見せた。すると、ものの見事に左半分が真っ白であった。
「今のんほんまやろな。」
「ほんまですよ。なぁ。」
と言って付添いの生徒に同意を求めた。
「よっしゃ、ほんでお前、手だしとらんやろな。」
「そんなん、だしてませんよ。こないだ先生に我慢が大事や言われたし。」
僕は怒り心頭であった。中三の二月と言えば進路を控えどの子も苛立っている時である。そんな生徒の心理状態も考えず、ましてや教師が火をつけるとは何ごとか。そう思うと我慢ならなかった。
「おいお前、外人講師と付添いの英語教師呼んで来い。」
暫くすると委員長が帰ってきた。
「授業中やからいく必要ない言うてます。」
「なんやと、誰のせいや思とんのや。かめへん、呼んでこい。あっ、ちょう待て、クラスのやつら勉強しとったか。」
「してませんよ、そんなん。みんな怒ってますよ。」
僕は領きながら
「よっしゃ。ほな俺がすぐ来い言うとるいうて呼んでこい。」
暫くすると外人講師と付添いの中野先生が憮然とした表情でやって来た。
「こいつ、黒板拭きで頭叩かれてますけど、一体何しましてん。」
すると青い目の外人が
「この子、悪い子ね。腐った林檎ね。大きな声だす。」
委員長は怒った。
「僕は皆がうるさいから、静かにせい言うたんでしょう。」
外人は少し馬鹿にしながら
「あなた大きな声だした。」
と言った。
「しかし頭を黒板拭きで叩くとはどういうことですか。」
外人もムカッとして
「この子いつも授業に集中していない悪い子です。アメリカではゆるされない。」
すると付添いの中野先生までが
「先生、この先生まだ日本に馴れていらっしやらないの、だから私達のほうで理解してあげないと。ほんとアメリカの教育は厳しいんですよ。」
「なにがアメリカじゃ。ここは日本じゃ。こいつのどこが悪い子じゃ。何が腐った林檎じゃ。こいつのこと何にも知らんくせに。生徒を傷つけてどこが教師じゃ。」
僕の剣幕に驚いた委員長は
「先生、もうええですよ。」
と言ってくれた。
「うるさい。お前だまっとけ。だいたいあんたは、日本人を馬鹿にしとる。黄色い猿イエローモンキーやと思っとるんやろが。違うんか。ええ。アメリカの教師は白人の子を叱る時、黒板拭きで頭叩くんか。ええ加減にせえよほんまに。なにがアメリカじゃ、文句あるんやったら、荷物まとめて国ィかえれ。」
外人講師は沈黙し、中野先生は時のうつるまで涙を落とした。
この事件以後、僕は反米愛国の憂国の士となった。