罪を憎んで人を憎まず

教師という仕事は、真面目にやればやるほど割のあわないものである。ともすれば、同僚や保護者から疎まれ、陰口の対象にされる。しかし、そんな時にかぎって、生徒が思わぬ恩返し≠してくれる。
 中学校に赴任して二年目、初めて三年生を担当した。三年とは即ち進路の学年である。なにせ事は人の一生に係わることだけに、僕はプレッシャーを感じていた。
 一学期の中間試験、僕の担当する公民は最終日の土曜日に実施された。幸いミス問題もなく無事試験を終え、ほっとしながら、同僚と昼飯を食べ午後から採点を開始した。職員室にはまだ十数名の職員が残って採点していた。二クラス目を採点していた僕は、ある答案に目が留まった。特徴のある誤答が二名続いたからである。『国際司法裁判所』と書くべきところを『国際復興開発銀行』と書いていたのである。これは教科書に載っていないことである。僕はとりあえずこの二人の採点をすませ再度答案をチェックした。たまたま、そのクラスの担当も残っていたので、席順を開くと、やはり二人は前後に座っていた。前に座っている生徒は、毎回80点前後をとるのに対し後ろの生徒は、40点前後しかとっていなかった。僕は残っていた学年の教師に事情を説明し、早速クラブ活動で残っていた、前の席の生徒を呼出し、事情を聞くことにした。
「あのな、下村、今日の公民の試験のことでな聞きたいことがあるんや。」
どの生徒もそうであるが、呼出しをかけた時にもう答えは判ったも同然である。下村も御同様であった。目をパチクリさせ、視線が定まらない、これは何かある。
「あんな、僕今採点しとったんやが、おまえと、後ろの奴、妙な間違いしとったんや。」
 すると下村は
「はぁ。」
と生返事をした。
「ここや、ここ。この答えや『国際司法裁判所』や、そやのに、おまえら二人『国際復興開発銀行』と書いとんねん、これ授業で教えてへんねん。判るか。」
「はい。」
と蚊が鳴いた。
「それに、そんな答え他に誰も書いとらんねん。偶然にしたらおかしいやろ。どうや。」
……沈黙
「あの、僕がみせました。」
「なんでや、なんでみせたんや。」
顔を下に向け、無言。
「溝口に脅かされたんか。」
「いいえ。」
「ほな、なんでや。」
「えぇ。」
「なんや、わからんな、はっきりせんかえ。だいたいやで、カンニングさせたら、やった奴と同罪やで、わかっとんのかいな。」
「はい。」
「ほな、ええかげんに、はっきり言えよ。しまいに怒るぞ。」
僕は少々いらつき煙草をせわしくすった。
「こら、言わんかえ。ただ頼まれただけで、友達でもない奴のカンニングの片棒担ぐもんが何処におんねん。えぇ。」
「今日は脅かされてませんが。」
「ほな、前にあったんか。」
 下村の声は、ますますたよりなく、消えいりそうになった。
「僕やないんですけど、今年の正月の百人一首大会の時、先生の組、野川君のチームに負たでしょ。野川は、上の句だけ聞いたら判るから、当然勝ちますよ。そのことで、終わったあと、部屋に溝口君と先生とこの組やった小山君が来て、野川君にお前インチキした言うて土下座させたんです。」
 なにを、くそ、僕は頭にきた。
なんと情けない。二年生の時のこととはいえ、自分が担任をしていた生徒がこんなことをしておったとは。
「僕としては、そんな奴ふつうの人間や思えませんから。」
「ふん。」
僕は溜め息まじりに領いた。
「ほな、それがあったから、断ったらヤバイと思ったんやな。」
「ええ、それもありますけど、僕としては、かかわりたくなかったから。」
 僕は腹が立ってしかたがなかった。溝口は、よく指導をされる問題の多い生徒ではあったが、つい先日の指導でも、とても素直な態度であっただけに、今回のカンニングには怒りをおぼえた。ましてや、百人一首事件を聞くにいたっては怒りとともに情け無さも感じてしまう。家に連絡をとり溝口を呼んだ。事務室で待っていると、ドアをノックして溝口が入ってきた。一礼し、帽子を取って
「先生、あの、何か。」
「おお、溝口よ、君、私に何か言いたい事あるのとちがう。」
溝口は、その長身をかがめながら、
「いいえ、べつに。」
と言った。
「ふふふ、いいや、あるで。あるやろ、どうや、言いたなったやろ。」
 溝口の顔が、少し白くなってきた。
「こら、あるやろが言うてんねん、言わんかえ。」
 僕は椅子を蹴った。溝口は顔面蒼白になった。
「あ、あの今日のテスト。」
「そう、言う気になってきたやん。今日のテストがどないしたんかな。」
 溝口は、1メートル80近い長身をますますかがめた。
「さっさと言わんかえ。」
「は、はい、あの……。」
「聞こえへんやろがこのボケ。」
「実は、公民のテスト下村に見せてもらいました。」
 僕はソファーからたちあがり溝口の傍に行った。
「このあほんだらが。」
 頭に一発おみまいした。
「こら、おまえ、わしは先週、己と話したばっかりやぞ。わかっとんかい。えぇ、セコイことせんとしっかり真ん中歩いていけ言うたやろが。それに去年担任しとった時なんべん話した。それが、全然わからんのか、ええ点とりたいんやったら努力せんかえ。それをなんじゃ、カンニングなんかやりくさって、ボケか、己は。」
 溝口は真っ白になった顔に一筋の涙を流した。
「だいたい、おまえっちゅう奴は俺が、話をしたら今までもすぐ悪さしよる。なんぞわしに恨みあるんか。」
「いいえ、反省してます。」
「何が反省じゃ、ふざけやがって、そうまでしてええ点とりたいんか。」
 溝口はすっかりしょ気かえり、目に涙をためるばかりであった。その後暫く指導をしてとりあえず別室で再テストをさせた。僕は職員室で待ちながら
「なんでかな。あいつ、俺が指導したらすぐ悪さしよる。いやになるで。」
と嘆いた。すると、風紀係の橋川さんが
「きっと、あいつは、アンコウさんに指導してもらうのが好きなんやで。」
「冗談やないで。」
 丁度そこへ溝口が神妙な顔ではいってきた。
「先生、できました。」
「ふん、よっしゃ。採点するよってここで待っとけ。」
 僕は煙草をロにくわえながら採点した。
「おい、おまえ78点やないか。」
 周りの教師も寄ってきた。
「おまえ、すごいやないか、78点やぞ、どないしたんや。」
 溝口は可愛い顔をしながら
「はい、僕ええ点とろおもて必死で勉強しました。」
「アホか、お前は。こんだけ点とれたら、なんもカンニングせんでええやろ。そうまでしてええ点とりたかったんか。」
「はい。」
「なんでや。」
「いっつも、アンコウ先生には迷惑かけとるから、ちょっとでもええ点とって喜んでもらおう思て。ほんで、ついカンニングしてしまいました。」
 僕は心の中で呟いた。
『お気持ちだけで結構です。』






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