1.

 1983年1月21日 東神戸大学。関西有数のマンモス私大の法文学舎にある語学棟で今、第二語学の82年度講義が終了した。千人近い学生が、一斉に語学棟から吐き出され法文学舎の坂を下って行く。ありふれたいつもの光景であったが、たった一つ、いつもと違っていたのは、法文坂の中程で井田先輩に会ったことだった。

「おい、佐々木。」

「あっ、井田さん。マージャンですか。」

「あほか、お前。俺何回生や思とんや。」

「五回生でしょう。」

「そうやろ、五回生やで、五回生。五回生が、後期試験を前にしてマージャンなんかできるか。」

「すんません。でも井田さん、マージャンでしょ。」

「俺はな、どうしても卒業せなあかんのや。わかるか、佐々木。」

「はあ。」

「大学院合格しとるんやぞ。また留年してみい、俺の将来どうなる。えらいこっちゃで。」

「井田さん卒業できるんですか。」

「あほやな、お前は。できそうにないから困っとるんやろ。佐々木、お前協力せえや。」

「はあ、僕にできることならしますけど、第二語学はフランス語ですよ。」

「だれも、お前にドイツ語教えてくれとは言うてえへん。一緒に来て、手挙げるだけでええんや。」

「手挙げるだけでええ。何ですか、それ。」

「三時から、法文Dルームで、83年度学費値上阻止の全学集会があるんや。」

「それやったら知ってますけど。学費値上されるの新入生からで、僕らには関係ないんでしょ。」

「あほか。俺らが学費値上されへんからええいう問題やないやろ。国鉄の運賃上げるみたいにヒョイヒョイ学費上げられて、学問の自由もないやろ。教育の機会均等にも反するやないか。だから、全学集会に参加してやな、学費値上阻止の全学ストライキのスト権を確立するんやないか。」

「井田さん、それどこまで本気ですの。卒業のためでしょ。」

「そうや佐々木。俺は、学費値上を自身の卒業とリンクさせることによってやな、他人事ではなく、自分自身の問題として主体的に取り組もうと思うんや。」

「あれでしょ、スト権確立してバリストして、後期試験を中止させて。それで卒業ですか。」

「まあ、学費値上阻止の全学バリケード・ストライキの反射的効果としては、そうした結果が発生するかもしれんけど。」

「井田さん、いいですよ。僕も今回の学費値上は率が高すぎる思いますから。全学集会でストに賛成するのは。でも、うちの大学のセクトの連中に、全学バリスト打ち抜く力ないでしょう。」

「そやから全学集会に出るんや。今こそ、俺らみたいな一般学生の力がいるのやないか。」

 こうして、僕は井田さんと全学集会に出ることになった。

 当時の大学は政治の季節を終え、宗教の季節と呼ばれていた。一昔前のセクトの力は、消失していた。事実、バリケードを築き大学を封鎖するというバリケード・ストライキは、もう五年以上行われていなかった。

 全学集会は10分ほどで終わり、圧倒的多数でスト権は確立された。といっても、参加者は三百人足らずだったが。全学集会後、参加者全員で、法人本部へ抗議のデモ行進を行った。

 井田先輩という人は、面白い人で、普段はあまり積極的に人前にでたり主導権を握ったりするタイプではないが、何か大義名分が備わっていると、恐ろしく行動的になり、リーダーシップを発揮する。おそらく僕は、井田先輩のそんな落差に魅了されてきたのだろう。そして、この時も井田先輩にとっては、大義名分の備わったケースだった。

 法人本部に着くと、すでに学生課からの連絡で、職員が待機していた。セクトの学生が、応対に出た総務課長に、理事長との面会を要求していた。

「理事長に面会したい。所在を教えてください。」

「理事長の所在は、私にはわからない。仮にわかったとしても学生には教えない。君ら学生は、親に学費を出してもらっているのだから、学費値上を考える前に、勉学に励むのが筋でしょう。」

当然学生側から猛烈な反論が出されると、僕も井田先輩も期待していた。ところが、したり顔の総務課長に、セクトの学生たちは反論しなかった。

 突然、井田先輩が発言した。

「総務課長、あんたいつから建学の父になったんや。ええか、建学の父狩野茂平は、この大学を学問の自由の砦とするとか言うて、大学の自治の担い手として教官と学生を挙げととるんと違うんか。それやったら、学費値上という重大事は、大学の自治の担い手たる学生にも十二分に関係あることやないか。それとも、総務課長、あんたは建学の父狩野茂平の言うことを反故にできるほど偉いんか。我が東神戸大学は、庶民の大学として存立してきたんや。ばか程金とるお坊ちゃん学校とは、違うんやで。それが、我が校の伝統でもあり校風でもあるんや。その伝統と校風を一介の総務課長が、変えてしもて、三十万校友にどう責任とるつもりなんや。」

総務課長は気色ばんだ。

「君たちは、何の権限でそのようなことを言うのですか。そもそも君たちは、本学の学生の代表でもなんでもないのだから。もし、代表者だというならば、手続きを。」

「あんたなあ、何考えとるんや。手続き手続き言うて、ここは市役所の窓口か。学生の代表かと問う前に、学生自治会潰したん、あんたら大学当局やないか。」

「異議なし。」

周囲の学生からも声があがり、ようやく団交らしくなってきた。

「第一、かの建学の父狩野茂平は、信頼と対話を大切にし、家に訪れた名も知らない学生と夜を徹して語ったというではないか。毎年、入学式で理事長が言うとるで。違うんか。ええ、総務課長。そうした本学の建学以来の美風をあなたは覆すおつもりか。」

「異議なし。」

井田先輩の前で、総務課長は十分ももたなかった。貧血でも起こしたのだろうか、卒倒してしまった。

 総務課長が、思いもよらないところでダウンしてしまったので、学生側も気勢を挙げて退散するというシナリオが崩れ、そのまま法人本部で滞留することとなった。井田先輩という学生運動の素人の闖入で、セクトの学生と法人本部という玄人同士の政治劇が、思わず頓挫してしまったのだ。もっとも、井田先輩はそんなこと気にもとめていなかったが。

 総務課長が法人本部の職員に抱えられるように退散した後、学生たちはハンドマイクでアジ演説を始めた。

「すべての闘う学友諸君。我々全学パルチザンより、八十三年度学費値上阻止に向けた熱い連帯のメッセージを送りたいと思う。」

「よーし。」

「日本帝国主義と一体化した東神大当局は、破廉恥にも四七%という学費値上を通告してきた。まさしくこれは、先進的労働者ならびにその子弟に対する悪辣な挑戦であり、大学の帝国主義的再編に他ならない。」

「ナンセンス。」

「我々全学パルチザンは、かかる東神大当局=日帝の野望を打破するため、圧倒的多数の先進的労働者,戦う学友諸君と連帯し、最後の最後まで闘うことを表明し、我々からの熱い連帯のメッセージにかえたいと思う。」

「よーし。」

「全学パルチザンからの連帯のメッセージでした。続きまして、この間、社会学部におきまして、闘争の再構築に日夜奮闘している社会学部再建自治会より決意表明を受けていきたいと思います。」

「異議なし。」

 学生たちのステレオタイプのアジ演説が延々と続いていった。セクトのアジ演説も終わり、二時間ほどすると残っている学生も五十人をきり、気勢もあがらなくなってきた。

「ここで再度、我々の決意を表明するため、シュプレヒコールを行っていきたいと思います。」

「シュプレヒコール。83年度学費値上を断固阻止するぞ。」

「八三年度学費値上を断固阻止するぞ。」

「我々は闘うぞ。」

「我々は闘うぞ。」

「最後の最後まで闘うぞ。」

「最後の最後まで闘うぞ。」

「勝利するぞ。」

「勝利するぞ。」

「ありがとうございました。ではここで、この間の闘争に参加されているサークル,団体からも熱い連帯のメッセージをうけていきたいと考えます。」

「よーし。」

「それでは、この間の闘争を広く学友に知らせるべく、闘いの最前線で留まり続ける先進的サークル、HBC東神戸大学放送研究会より熱い連帯のメッセージをうけたいと思います。」

「異議なし。」

 予想もしなかった展開になった。各グループが、アピールすることになったのだ。井田先輩と法人本部に残留することになって、しばらくして判ったのだが、純然たる一般学生は、井田先輩と僕の二人しかいなかったのだ。

「井田さん、どうします。もうすぐ僕らの番ですよ。」

「心配するな。落ち着いて堂々とやったらええんや。だいじょうぶや、あせるな。佐々木、お前もやれる。」

「そんな、僕いやですよ。何で、僕がアジやらなあかんのですか。」

「何言うとんや。お前もしょっちゅうアジ聞いてるやろ。」

「そんな無茶な。井田さんやってくださいよ。」

「なんともない。平気平気。それに知り合いおらんやろ。」

「また、そんなこと言う。いいですよ、井田さんがそのつもりなら。そのかわり、こないだの三千円今すぐ返してくださいよ。」

「え、あれは、お前がおごる言うたやないか。」

「そうですよ。でも気がかわりました。井田さんがそのつもりなら。」

「判った判った。冗談やないか。最初から俺がアジやるつもりや、心配するな。」

「ほんまですか、頼みますよ。」

井田先輩は、頷くと黙りこくった。

「井田さん、大丈夫ですか。もう次ですよ。」

「それでは、次の団体からメッセージをうけたいと思います。すみません、最初に団体名を言ってください。」

井田先輩は、マイクを受け取るとすくっと立ち上がった。

「大変長らくお待たせしました。法人本部に結集されましたすべての闘う学友諸君ならびに残留を余儀なくされました東神戸大学下級職員の皆さん、我々カンリュウカイより熱い熱い連帯のメッセージを送りたいと思います。」

井田先輩の発言に学生たちの視線が集まった。

「我々カンリュウカイは知っています。あなたの悩みを。そうです、あなた、あなたです。この仕切りの後ろに佇む東神大下級職員のあなたです。あなたは、今回の異常なまでの学費値上に疑問を感じている。いや、いきどおりすら感じている。しかし、家で待つ幼子と愛しい妻のことを考えると、声に出すことすらはばかられる。判っています学生は、あなたのその気持ちを。そこで、我々は、毛沢東中国共産党が蒋介石国民党に対し行った国共合作の呼びかけに習い、東神大学生が東神大下級職員のあなたに対し学職合作の呼びかけを行おうではありませんか。明日朝10時、正門前の喫茶店サボールにお越しください。お待ちしています。それでは、最後にシュプレヒコール。我々闘う学生は、83年度学費値上を阻止するぞ。」

「我々闘う学生は、83年度学費値上を阻止するぞ。」

「カンリュウカイもがんばるぞー。」

「カンリュウカイもがんばるぞー。」

「東神大下級職員も、こっそりと闘うぞ。」

「東神大下級職員も、こっそりと闘うぞ。」

「ありがとうございました。カンリュウカイでした。」

 井田先輩のアジ演説が終わった。僕は笑ったが、すぐに周囲を見渡した。すると何人かが井田先輩を囲み、学部や学年を尋ねていた。そこへ全学パルチザンと書かれたヘルメットをかぶったセクトのリーダーがやって来た。

「カンリュウカイですか。明日からの全学スト来てくださいね。」

「はい、是非伺わせていただきます。」

井田先輩は、嬉しそうに答えると、僕にオーケサインを送ってきた。僕は思った。これで、僕も全学ストに参加だなと。そして、明日のバイトの断りを考えた。

 

2.

 1月22日。スト初日。井田先輩が9時前に登校するのは何年ぶりだろう。それどころか、8時前に僕の下宿に迎えにくるなど前代未聞である。正門に近づくにつれ、恒例のアジ演説が大型スピーカをとして聞こえてきた。

「まさしく、そうしたアメリカ帝国主義のアジア人民に対する抑圧的,植民地主義的支配の後方基地として日本は位置しているのであり、今日の産学協同路線の背後には、日本帝国主義の再編という意図が明確なのである。そうした中で、東神戸大学においても学費値上により、先進的プロレタリアートの子弟の締め出しという暴挙に打って出たのである。」

「おい、佐々木。行くぞ。」

井田先輩は、すでに絶好調であった。

 正門には、1メートルほど開けて、机などをワイヤーで固定してバリケードが築かれていた。ヘルメットにタオルで覆面した全学パルチザンのメンバーが、学生証をチェックしながら学生だけを入構させていた。中にはいると正門の内側に四五百人の学生が滞留していた。

「すべての闘う学友の諸君。我々全学ストライキ実行委員会は、去る21日圧倒的多数の学友参加の下、スト権を確立し、本日全学ストライキに突入したのである。我々東神戸大学二万学友は、全学ストライキ実行委員会の旗の下、学費値上という当局の蛮行を断固として打破していこうではありませんか。それでは、シュプレヒコールを行っていきたいと思います。シュプレヒコール。83年度学費値上を阻止するぞ。」

「83年度学費値上を阻止するぞ。」

「松平理事長の逃亡を許さないぞ。」

「松平理事長の逃亡を許さないぞ。」

「全学ストライキ実行委員会の旗の下、最後の最後まで闘うぞ。」

「全学ストライキ実行委員会の旗の下、最後の最後まで闘うぞ。」

「闘うぞ。」

「闘うぞ。」

「それでは、学費闘争への熱い決意を込め、インターナショナルを歌っていきたいと思います。立てーうえたる者よ…」

アジ演説にインターナショナル、学園紛争にはお決まりのコースを、まるで結婚式の披露宴のようにつつがなくすすんでいった。僕は以前から不思議に思っていたのだが、反体制を標榜する新左翼の学生たちが、どうして同じことを、同じ口調でしか言わないのだろうか。こんなステレオタイプの活動では、どちらが反動勢力なのか疑ってしまう。

 インターナショナルが、二番にさしかかった頃、急に井田先輩の歌声が怪しくなってきた。しばらく井田先輩の歌声に聞き耳を立てていて判った。

「井田さん。井田さん、インターナショナル知らんのでしょう。」

「あほ、一番は知っとるわい。」

「ははは、ようやりますね。インターナショナルも知らんで、学園紛争ですか。」

「やかましいわい。インターナショナルで闘争するんやないわい。大事なんは、理不尽な事象に対するアイデンティティーから発現する怒りや。歌なんかどうでもええんや。ええか、歌で革命できるんやったら、天地真理は日本のレーニンになっとるやないか。ちゃうか。」

「井田さん、カッコ悪いでしょ。」

「やかましい。黙っとけ。それより、一般学生減ったな。」

井田先輩に言われて周囲を見渡すと、さっきまでの半分ほどに学生の数が減っていた。

「カンリュウカイの方ですね。」

突然背後からストのリーダー格の学生に声をかけられた。

「ええ、そうですけど。」

「学生が、減ってきていますのでお願いしたいのですが、カンリュウカイさんのアジを。学生を集めたいので。」

やはり、昨日の法人本部での井田先輩のアジ演説にインパクトがあったのだ。僕が、そう思っているすきに、井田先輩はマイク片手に、壇上に上がっていた。

「えーここで、今回の学費闘争の中、忽然と現れました闘う集団、カンリュウカイより連帯の熱きアピールを受けていきたいと思います。」

この紹介だけで学生の流れが止まった。学生だけではない、正門の外で待機している学生課の職員も佇んだ。

「大変長らくお待たせいたしました。カンリュウカイです。」

確かに、一般学生は注目している。

「えー、今回の学費値上は、やりすぎや思うんですわ。約50%ですよ。ええかげんにせなあきませんわ。うちの大学、学習院と違うんですよ。畏れ多くも建学の父狩野茂平先生以来本学は、庶民の大学として存在してきたのです。番頭さんに怒られながら、くっそ今にみとれ思って丁稚どんが本学の夜学に通ったんです。番頭はんと丁稚どんの時代から、本学は庶民の大学として人々に慣れ親しまれてきたのであります。それを何ですか、今回の学費値上は。50%も上げたらもう庶民の大学と違いますやん。」

「異議なし。そのとおり。」

「違いますか。まだ、ほんまに値上せな大学つぶれるいうんやったら話もわかる。ところが、学生に説明せなあかん松平理事長、所在不明や。ええかげんにせいよ。かの建学の父狩野茂平先生も泣いておられる。情けない。そう思うと腹が立つ。来年度入学を希望している後輩のためにも、東神大生は怒ろう。ここで、怒りのシュプレヒコールを行います。東神大生は、オコットルぞ。」

「東神大生は、オコットルぞ。」

「ええ加減に松平理事長は、出てこい。」

「ええ加減に松平理事長は、出てこい。」

「学生は、待っとるぞー。」

「学生は、待っとるぞー。」

「東神大の伝統を守り抜くぞ。」

「東神大の伝統を守り抜くぞ。」

「ありがとう皆さん。カンリュウカイのアピールを終わるにあたり、番頭はんと丁稚どんの古き良き伝統を守るという決意を込め、東神戸大学学歌を斉唱していきたいと思います。」

「よーし。」

「それでは、ご起立のうえご斉唱ねがいます。やーまは、六甲連山の、なーだの銘酒に鍛えられ…」

井田先輩のアジ演説は終わった。ストのリーダーの思惑は当たった。

 こうして、スト初日は終了した。

 

3.

 1月23日。スト二日目。東神大前通りを歩いていくと、早速大音量のアジ演説が僕の耳に飛び込んできた。しかし、アジの内容が違っていた。

「騙されてはいけません。騙されてはいけません。眼をしっかり見開きましょう。」

これは全学ストライキ実行委員会ではない。ストに反対する勢力がやって来たに違いない。僕は正門に急いだ。ノンポリの僕が、どうして足早に正門へと向かったのかよくわからなかったが、僕はもう走り出していた。

「おはようございます。こちらは、東神大全学ストライキ実行委員会です。東神大通りの住民の皆様、本日もお騒がせいたしておりますが、私たち学生は庶民の大学という東神大の良き伝統を守るため、学費値上に反対いたしております。番頭はんと丁稚どんの大学、東神大を守るため、宜しくご理解ください。また、登校中の学友の諸君、大学当局に騙されてはいけません。騙されてはいけません。」

駆け出していた僕の足は、ピタッと止まった。あの声の主。あれは、井田先輩だ。しかし言うか、ストの学生が騙されてはいけませんなどと。これは、大学当局などが、紛争時に一般学生に言うセリフだ。ほっとすると今度は、井田先輩の顔を一刻も早く見たくなった。結局、僕は正門まで走りとおした。

 正門をくぐり抜け、井田先輩をさがした。さがすまでもなく、人だまりの中心にカップコーヒを持って立っていた。ちょっとしたスター気取りだった。

「井田さん。」

「おっ、佐々木か。お前ええとこ来た。コーヒいれてくれてるで。お前も貰えや。」

二回生ぐらいの小柄な女の子が、僕にコーヒーをいれてくれた。井田先輩は今日も絶好調だった。僕はなんとなく楽しくなり、井田先輩の横に座った。

「井田さん。なんで井田さんがいきなりマイク持ったんですか。」

「ああ、頼まれたんや。景気づけやろ。それに俺、マイク持つの初めてやろ。前から、ちょっと憧れてたんや、マイクに。」

「昨日のアジ演説、よっぽどスト実の人に気にいられたんですね。」

「佐々木、お前は気にいらんか。」

「別に、気にいらないことはありませんけど。慣れてますからね。」

「嫌な性格やな。お前は。」

 正門前に、大学当局がスピーカーを載せたライトバンでやって来た。

「大学を不当に占拠している学生諸君、君たちの行為で多くの学生教官が迷惑しています。直ちにバリケードを取り除き、退去しなさい。」

「ナンセンス。」

「君たちは、多くの学生の教育権を侵害している。今すぐ退去しなさい。」

どこで用意したのか、ライトバンのスピーカーは強力だった。井田先輩が動いた。全学ストライキ実行委員会のリーダーに向かって歩き出した。

「ちょっと、あの人だれ。」

「ああ、学生部長ですよ。」

「ふーん。えらい言うてくれるやん。あんたら何で反論せんの。」

「いろいろありましてね。」

「いろいろて、何。」

「彼、進歩派の教官なんですよ。ハト派というかリベラルというか。我々に対しても比較的好意的な数少ない教官なんで。」

「それが、何で学生部長なん。」

「当局もなかなか賢いですからね。反動派の教官を学生部長に据えると、学生側に標的にされるでしょ。ところが、学生に一定理解のあるハト派の教官をもってくると学生も攻撃しにくい。仮に、学生に倒されてもハト派の教官ですから、大学運営に対し批判的なハト派教官が打倒されても、大学当局としては好都合なんですよ。」

「ほな、あの人、学生部長断ったらよかったやん。」

「そうもいかんのですよ。かつては反動派の教官が学生部長になってたんですが、学内にハト派の教官は、批判だけで学生の矢面に立たないという主張が、今年の理事会で出て、結局ハト派から出すことになったんです。当局側は、学費値上を見込んでいたんでしょうね。」

「ふーん。いろいろ難しいんやね。」

「教官の世界の権力闘争、派閥闘争もきついですから。」

「まあ、いろいろあるらしいけど、学生部長にスピーカーで言わしといたらあかんのとちゃう。」

「でも、彼ハト派でしょう。」

「ハトかタカか知らんけど、あの人今の立場、学生部長の職務に専念しとるわけやろ。それやったら、こっちも学生の立場に専念したらええやんか。」

「確かに理屈ではそうですが。」

「何や知らんけど義理人情の世界があるみたいやな。でも、このままやったら負けるで、ええの。」

「いや、それで困ってるんですよ。」

「ほな、僕が言うたろか。」

「カンリュウカイさんやってくれます。」

「ええよ。」

 井田先輩は、全学ストライキ実行委員会のリーダーとの話を終えると、バリケードに登り、門扉に片足をかけ正門の内と外を見渡した。その間も学生部長は、全学ストの不当性を大型スピーカーで説いていた。

「ちょっとちょっと、ええ大人が、大きなスピーカーでどなったらあかんがな。近所迷惑やないの。」

井田先輩が、マイクを通して語りかけた。学生部長もバリケードの中の学生も、一瞬の静寂を感じた。そして、学生たちの笑い声と同時に学生部長も声を発した。

「何だ。君は何者だ。」

「東神戸大学の学生やんか。それより、あんた誰。」

「わ私は、学生部長の榎本だ。」

「えっ、学生部長。学生部長いうたら教授やんか。あかんな、教授ともあろうお方が、大きなスピーカーで騒ぎ立てるとは。東神戸大学の品位が落ちるがな。」

「何を。君たちこそ何の権限があって大学を占拠しているんだ。」

「そら、あんたら大学当局が、非常識な学費値上をするからやんか。なあ皆そうやろ。」

「そうや、そうや。異議なし。」

「ほら、学生が皆言うとるで。」

「君たちのような一部の者のせいで多くの一般学生が迷惑している。」

「何言うとん。僕ら一般学生やんか。何や思っとん。一般学生やで。嘘や思うんやったら、中入ってきたら。」

「主張があるなら正式に言いなさい。手続きをふんで。」

「さあから、話し合いしよう言うてるやん、ストやる前から。話し合いせんと逃げ回ってんの理事長やんか。」

「君たちは、多くの学生と教官の教育権を侵害しているただちに退去しなさい。」

「ほら、不利になったらすぐワンパターンになる。判った、所詮あんたはそういう人や。相手する値打ちもないわ。よーし皆、学生部長笑ったろ。わっはは。」

学生たちの笑い声がこだました。

「君たちは、何らの権限もなく不当に占拠している。」

なおも学生部長は、抵抗した。井田先輩を無視するかのように。しかし、この対応が、井田先輩を燃え上がらせた。

「おーい皆。バリケードににじり寄れ。バリケードに登れ。ほんで、シュプレヒコールや。学生部長をぶっ飛ばそう。僕が、榎本言うたら『嘘つき』、卑怯者言うたら『榎本』言うて。ほないくで。」

僕は、興奮していた。いや、楽しくなっていた。今から始まるイタズラが。そして、学生たちも。

「榎本」

「嘘つき」

「卑怯者」

「榎本」

「榎本」

「嘘つき」

「卑怯者」

「榎本」

繰り返し言っているうちにだんだん調子が上がっていった。後から良くなる法華の太鼓とはこのことだ。正門の内と外で学生たちが、楽しそうにシュプレヒコールを繰り返していった。いや、もうシュプレヒコールではなかった。

「誰が、嘘つきだ。私は、卑怯者ではない。」

学生部長は、甲高い声で叫んだ。すると井田先輩が、追い討ちをかけた。

「田舎のご母堂が、泣いておられるぞ、榎本ウジ。人様に笑われるような人間にだけはなってくれるなと。わっはは。」

「何を、言うか。」

これが、学生部長の最後の言葉であった。学生課の職員に抱えられるようにしてライトバンに乗込むと、一気に逃げ去った。

「学生部長は、逃走しました。ここで勝利の雄たけび。エイエイオー。」

「エイエイオー。」

「エイエイオー。」

「エイエイオー。」

「おまけで、笑い飛ばしてやろう。わっははは。」

「わっはは。」

 こうして、学生部長は、撃沈された。おそらく学園紛争史上、これほど中身のない攻め方で倒された学生部長は、榎本教授をおいて他に存在しないだろう。

 スト二日目は、全学バリストに似つかわしくない状況の中で終わった。

 

4.

1月24日 スト三日目 9時過ぎに登校すると、井田先輩はもうバリケードの中に入っていた。

「井田さん。」

返事がない。

「井田さん。」

「佐々木か。」

「どないしたんですか。元気ないですやん。」

「うーん。スト中止する言うとるんや。」

「えっ。どうしてですか。」

「機動隊導入するらしいわ。」

「いつですか。」

「もう直ぐや。くそ、全学パルチザンの奴ら、ええカッコ言いやがって。機動隊導入の情報入ったとたんスト中止言うんや。」

「でも、スト実行委員会の決定ではないんでしょ。」

「スト実行委員会は、実質全学パルチザンや。あいつらが作った組織や。」

「井田さん誰から聞いたんですか、その情報。」

「文学部連絡会議の奴や、文学部の留年仲間や。もうお終いや。明日の朝までストがんばったら後期試験中止やったのに。ああ、これで俺の将来もないわ。また留年や。大学院合格しとんのになあ。」

「井田さん、自分の卒業のためだけにストやったんですか。それやったら。」

 井田先輩と僕の間に気まずい沈黙が横たわった。

「佐々木よ。お前はええよ。留年してないから。俺は次六回生やぞ。判らんやろ。まあ、ええ。もうちょっとだけうだうだ言わせ。」

そう言うと井田先輩は、バリケードの横のベンチに腰掛けた。依然バリケードは、築かれたままだったが、ヘルメットの全学パルチザンの姿はなく、三十名前後の学生がバリケードの内側で話しこんでいるだけだった。その横を一般学生が通りすぎていた。彼らも、昨日までの様子との違いを感じているのだろう、いぶかしそうにバリケードを見ながら立ち去っていた。

「よし、こうなったら、手作りのバリストやったる。」

井田先輩が、勢い良く立ちあがった。

「なあ、佐々木。このままやったら俺ら学生、当局になめられる。せめて後期試験を中止させて、簡単には学費値上させへんいうとこみせたらなあかん。」

「どうしたんですか、急に元気になって。」

「困ったときは、徹底的に落ち込んだらええんや。さっき俺落ち込んだやろ。」

「ものすごく落ち込んでました。」

「そやろ、落ち込むだけ落ち込んで、底までいったらええんや。底まで行ったら上るしかないやろ。元気でたで。佐々木君、君のおかげや。」

井田先輩の情緒にはついて行けないところがある。しかし、その復元力には感心させられる。確かに、底まで落ち込めば上がるしかない。ポジティブとは、井田先輩のことを言うのだろうか。

「おい、佐々木。俺、留年仲間の文学部連絡会議と話してくるわ。まずは、人集め、人集め。」

 井田先輩は、そう言うと一人の男を連れ出し正門前の喫茶店に入って行った。井田先輩が、戻って来たのは一時間ほどしてからだった。

「佐々木。彼が、僕の留年仲間で文学部連絡会議の最高顧問の伊里橋君や。全学パルチザン撤退の後、俺らでストやることにしたからな。あっそうや、こいつが僕の後輩の佐々木や。」

 伊里橋さんの案内で、井田先輩と僕は、文学部連絡会議と連携している社会学部再建自治会=社自のボックスに向かった。甲南館というサークル棟の一階にある社自のボックスは、語学教室ほどの大きさで、机,椅子,本立,ガリ版,立て看板などが乱雑に置かれていた。そんな中から社自の高松委員長が、ニコニコしながら僕らを迎えた。すでに、連絡がいっていたのだろう、詳しい説明もなく本題にはいった。

「それで伊里橋さん、社自は何をしたらええんですか。」

「人や、人を出してくれ。何人出せる。」

「そうですね、今日明日となると、十五人ぐらいですね。」

「どうや井田。」

「十五人。ええやないの、充分やんか。」

「カンリュウカイの。」

「そうです。カンリュウカイの井田です。そして、彼が佐々木です。」

「十五人で足りますか。」

「高松君、充分やんか。十五人はサクラみたいなもんやから。後は、正門前に一般学生何人集めるかや。ああ、それからその十五人は、サクラ兼工作隊やからね。」

「工作隊て何ですか、井田さん。スパイでもするんですか。」

「まあ、それはええやん。後で言うわ。」

「あっ、佐々木君、君がサクラ工作隊の隊長やからね。ええなあ、このネーミング。サクラ工作隊か。どう、高松くん。伊里橋君。」

「ええやんか、コードネームは、サクラ工作隊や。」

伊里橋さんは、井田先輩と波長が合っていた。僕と高松君は、顔を見合した。

 結局、隊長にさされた僕は、十五人のサクラ工作隊員とともに、正門前で人寄せのサクラをやらされた。アジ演説の大半は、井田先輩がやった。でも、それはもうアジ演説ではなかった。

「東神大の学友諸君。全学ストライキ実行委員会は、ストを中止したそうです。機動隊が導入されるからだそうです。確かに、ことここにいたっては、学費値上阻止という当初の目標は無理でしょう。でも、そう簡単に諦めきれるものではありません。何を諦めきれないのか。それは、我が東神大の伝統と言うか、校風というか。庶民の大学として昔から人々に親しまれてきた古き良き学風です。家庭の事情で進学できなかった若人たちが、仕事を終え、未来に夢を託して通った学び舎が、東神大ではなかったでしょうか。そうした番頭はんと丁稚どんの大学が、東神大なのです。今の日本は経済大国といわれ、そうした苦学生は減ったでしょう。でも、50%近い学費値上をすると、東神大を希望する受験生の何人かは、経済的理由から入学を断念するでしょう。それでいいのでしょうか。我々、現在の東神大生は、過去の東神大生のためにも、未来の東神大生のためにも今回の学費値上に異議を唱えましょう。そして、番頭はんと丁稚どんの大学たる東神大に誇りを持とうではありませんか。いや、過去・現在・未来が一体となった東神大には、今こそ誇りを持てるのです。アルバイト先で『どこの学生さん』と尋ねられたときに『東神大です。』と胸を張って答えようではありませんか。今こそ言えるのです東神大は不滅ですと。皆さん、大学当局が、今日機動隊を導入すると言うのなら、明日の朝までストを続行しようではありませんか。せめて今日一日ストを続行することが、過去の東神大生と未来の東神大生に対する、現在の東神大生の意地ではないでしょうか。今こそ、東神大魂を示そうではありませんか。」

 井田先輩の演説が、それまでと変わった。正門前に佇んだ学生たちも静かに聞いていた。

「ところで皆さん。話はかわりますが、理事長、理事長今何処で何してるか知ってますか。有馬温泉、有馬温泉で芸者遊びしとるんですよ。人を馬鹿にした話ですよ。芸者相手せんと学生相手せえよ。」

井田先輩は、やはり井田先輩だった。この人のコアは不変だ。

 井田先輩のアジ演説というか、お話が始まると何処からともなく学生が集まり、終わると徐々に減っていくということを繰り返しながら、午後の六時を過ぎた。大学当局も、セクトの学生が撤退した後、一般学生を主力とした烏合の衆が、バリケード前に泡の様にできては消えまたできるので、状況判断に苦慮したのか、機動隊はついに姿を見せなかった。

 そして、僕が十五人のサクラ工作隊員と工作活動に入ったのは、日もどっぷりと暮れた午後七時前からだった。伊里橋さんが、サクラ工作隊に集合をかけた。

「サクラ工作隊の諸君、ただいまから作戦行動に入る。詳細は、カンリュウカイより指示する。」

「カンリュウカイの井田です。君たちサクラ工作隊は、工作隊やから工作してもらう。図画工作です。簡単に言うと、どこの大学もバリストすると立て看やビラを貼りたおす。だから、君らもやるんや。」

すると、社自の高松委員長が異議をとなえた。

「いやあ、社自も立て看ありますけど、あの独特な書体書ける人間いませんよ。今うちにある立て看、何年も前に卒業した人が書いたもんですから。」

「心配せんでもええんや。ええか、全学パルチザンは、セクトや。闘争にかけてはプロみたいなもんや。ところが、僕らはどこのセクトにも所属してないノンポリに毛が生えたようなもんや。所詮アマチュアや。アマチュアやねんから立て看やビラの書体も普通でええんや。それに、その方が怪しげでええやん。僕、ちょっと怪しげなん好きやねん。」

「井田さん困りますよ。できませんよ。」

僕は思わず声を上げた。

「何わがまま言うとるんや。状況判っとるか。」

「判ってますよ。」

「状況判っとったらそれでええんや。」

「ちょっと待ってくださいよ。僕立て看板やビラ作ったことありませんよ。」

「お前は、ほんまにあほやな。ええか、誰でも最初は未経験なんや。でも、いっぺんしたらベテランや。さあからやれ。」

僕は、後悔した。学費闘争に参加したことではなく、井田先輩の後輩になったことを。

「判りましたよ。それでサクラ工作隊の予算は。」

「なしや。0円でやって。」

「そんなん無理ですよ。」

「井田、それは無理やろ。予算なしでどうやって立て看作る。」

伊里橋さんが助けてくれた。

「サクラ工作隊は、三班に分かれ各々大学の三方向に展開するんや。ほんで、電柱を探し、電柱にくくりつけてあるサラ金やピンサロの看板回収してくるんや。そうした看板は、勤労者を餌食にしたり青少年にも悪い影響与えとうからな。それに屋外広告条例にも違反しとるんや。東神大のご近所の方も美観向上と感謝してくれるわ。ビラは、社自のガリ版とザラ紙使ってええで。」

 結局僕たちサクラ工作隊は、一時間ほどで百枚以上の看板を集めてきた。思いのほか看板は街にあふれていた。集めた看板に模造紙を糊で貼っていくのだ。その上に墨やポスターカラーで(学費値上反対)(伝統を守れ)(出て来い理事長)など好き勝手に書くのだ。しばらくやっていると、これが意外に楽しい作業になった。

 そこへ、井田先輩と伊里橋さんがやって来た。

「おい、佐々木。サクラ工作隊に差し入れやぞ。」

「どうしたんですか、その一升瓶。」

「あんなあ、正門前の訳本屋のオヤジが、東神大生見なおした言うて持ってきたんや。番頭はんと丁稚どんの伝統守れ言うて。なんか、今まで、西の東大や言うて馬鹿にしとったが、あんたら男や言うて感激しとったわ。あのオヤジも家が貧しかったから上の学校諦めたんやて。サクラ工作隊、飲んでくれや。」

僕は、熱くなった。

 

5.

 東神戸大学の冬は厳しい。六甲おろしが、まともに吹いてくる。僕が、十五人の隊員とともに立て看を完成させたのは、1月25日午前〇時だった。

「井田さんできました。立て看見に来てください。」

社自のボックスの井田先輩に言った。

「さすが佐々木君。君ならできると思とった。」

井田先輩は、ボックス前に置かれた立て看を見た。

「うーむ。すごい、すごい。立派や。何枚あるんや。」

「約百枚です。」

「ようやったな。」

「何処に立てます。」

「うん、考えがあるんや。その前に、サクラ工作隊も休憩して。ボックスでホットコーヒー飲めや。」

 コーヒータイムの後、井田先輩は、サクラ工作隊を連れ学生課の前まで行った。

「ここや。ここに50枚立てよ。学生課の前の禿山に、立て看板の花を咲かせてあげましょう。君らは、花咲じいさんになるのだ。ああ、それから。君たちは立て看にセクト名入れるの忘れとったね。いいのよ、いいの、所詮俺らは素人。伊里橋と二人で、セクト名入ったステッカー作っといたから、看板に貼りつけといて、立てるときに。」

ステッカーには、サクラ工作隊と書かれていた。僕は、なんとなく誇らしかった。早速、ステッカーを貼りながら、看板を学生課の前の禿山に咲かせていった。

確かに、50枚の立て看板の林立は、壮観であった。僕たちサクラ工作隊も満足だった。サクラ工作隊のメンバーが、一メートルほどの板を拾ってきた。

「これ、何かに使えませんか。」

すると、伊里橋さんが、ニコニコしながら言った。

「俺にかせ。まかしとけ。」

しばらくすると伊里橋さんが、その板を学生課のドアに釘付けした。見ると、墨で大きく『タコ部屋』と書かれていた。

 社自のボックスに帰ると、正門に残っていたメンバーから連絡が入った。全学パルチザンが押しかけて来たと言うのだ。急いで正門に行くと、社自の高松委員長が数人に囲まれていた。ヘルメットに手ぬぐいで覆面をし、ナップサックを背負っていた。ナップサックの中から、襲撃用に使う鉄パイプがのぞいていた。総勢三十人ほどの全学パルチザンは、迫力があった。高松委員長が、拉致されそうになった。所詮アマチュア集団の僕たちは、プロ集団の全学パルチザンの前では無力だった。

 それまで隅に隠れるようにしていた井田先輩が、伊里橋さんに尋ねた。

「あれが首領か。」

伊里橋さんは、小さく頷いた。

全学パルチザンの首領は、正門横の岩に腰掛けながら、チキンラーメンを生でかじっていた。井田先輩は、首領の前まで行くと話しかけた。

「どないしたん。」

「貴様らこそ、スト実の決定に反して、ストを続行しているのだ。スト破りだ。」

「何で。スト破りは、スト続行中に就業することやん。俺らは、スト終わってからストしてんねんからスト破りちゃうやん。」

「やかましい。何故ストを続ける。何のためにストをやっているんだ。貴様らの行為は、スト実に対する分派行動だぞ。」

「何でて、そら卒業のためやん。明日の朝までストやったら後期試験中止やろ。」

「なんちゅう奴らや。」

「ええやん、そない怒らんでも。俺らにも家庭の事情があるねん。それより美味そうやな、ちょっとくれや。」

井田先輩は、そう言うと首領が手にしていたラーメンを取り上げてパクリと一口食べた。

周囲は、井田先輩と首領を眺めていた。

「返せ、俺は思想を異にする奴とは、ともにラーメンいただかんのや。」

「ええやん。ちょっとだけや。頂戴。」

首領は、井田先輩の伸ばした手からラーメンを守るかのように左肩を突き出した。

「帰るぞ。こいつらには、思想的背景がない。いや思考力そのものが欠落している。相手にするだけ時間の無駄だ。」

 首領を先頭に全学パルチザンは、整列して退去していった。僕たちは、しばらく黙ったまま彼らを見送った。そして、僕は井田先輩を少し見なおした。

「佐々木。めちゃくちゃ恐かったな。もう嫌や、こんな生活。」

「でも、井田さん。カッコよかったですよ。井田さんの機転で高松君救われましたね。」

「何勘違いしとんねん。俺、ほんまに腹空いてたからチキンラーメン欲しかったんや。さあけど、あいつ、ほんまのケチやな。」

僕は、そんな井田先輩に温かいラーメンを食べさせてあげたくなった。

「おい、佐々木。スト終わったら、金将のラーメンおごってくれよ。な、ええやろ。」

僕は、ため息をついてタバコに火をつけた。

 

6.

 立て看の設置と、正門での全学パルチザンの襲撃に対応した僕たちサクラ工作隊は、社自のボックスで、ビラの印刷にかかった。ところが、いざビラを作るとなると、これがなかなか厄介な代物だった。当時の大学は、学生運動の最盛期を過ぎたとはいえ、いたるところにビラが貼られていた。見なれたビラではあったが、何をどのように書いていいのか困っていた。仕方なくサクラ工作隊一同、井田先輩に尋ねることにした。

「何やて、ビラの書き方判らんやて。そんなん、俺も知るかいな。大学の講義にも、≪ビラ作成法≫なんかないからな。まあ、適当に作れや。」

「それができないから相談に来てるんですよ。」

「佐々木、お前ほんま創意工夫に欠けとるなあ。何もセクトの作るようなもん要求しとんやないで。お前ららしいのん書いたらええんや。」

「できないもんは、できません。」

サクラ工作隊員の浜坂が言った。

「佐々木、この人誰。」

「一回生の浜坂君です。」

「高校のころのお前に似とるな。浜坂君、君がそこまで言うなら仕方ない、僕がビラ作りを伝授してあげよう。ええか、セクトのビラいうのは、基本的にスローガンで構成されてるんや。ワンパターンやけどな。だから、スローガンさえあれば簡単や。ところが、俺ら趣味でストライキやっとるからスローガンなんかない。さあから、まずスローガン作ったらええんや。判った、どう浜坂君、一個作ってみ。」

「いやあ、先輩できませんよ。」

「しょうがないな、見本作るで。ううーん、そや。【尋ね人 東神戸大学理事長 何も心配ない連絡請う 学生一同】なんかどうや。」

「そんなんでいいんですか。」

「ええ、ええ。そんなんで。恋人に手紙書くんと違うで。読むん当局やで。適当適当。」

 井田先輩の指導の下、サクラ工作隊は、実に適当なスローガンを作って、何種類ものビラを印刷していった。【番頭はんと丁稚どんの伝統を守れ!】【駅の近くに校舎建てろ!】【学費泥棒―参上】など、ほんとうに適当なビラが三〆三千枚刷り上った。サクラ工作隊というセクト名のはいった。

 井田先輩に、ビラの完成を報告した。

「できたか。ほな貼りにいこか。もう、四時前や、急いでやらんと間に合わん。サクラ工作隊は、三班に分かれてくれ。法文方面、商経方面、社工方面や。各班ノリをバケツにいれて持って行けよ。それから、スペシャル・エージェント・チームを作る。メンバーは、高松君をチーフに浜坂君,吹田君の三人や。各班、任務完了後は、社自のボックスに集まってくれ。情報集約は、伊里橋君が担当する。」

僕は、法文方面を担当した。八百枚のビラを法文学舎の目立つところに貼っていった。昨日まで、名前どころか顔も知らなかったサクラ工作隊の隊員と、喋ったり笑ったりしながら作業をすすめていった。気がつくとビラはもう一枚も残ってなかった。

 社自のボックスに帰ると、各班とも作業を終えて集合していた。

「皆ご苦労さん。ほな、行こか。スペシャル・エージェント・チームも作業終わったらしいから。」

井田先輩を先頭に、サクラ工作隊は、法人本部に向かった。法人本部の手前で、スペシャル・エージェント・チームが待っていた。

「伊里橋さん、井田さん。完了しました。」

高松君が、満足そうに言った。

 僕たちは、法人本部の正面に立った。素晴らしい光景だった。適当なスローガンを書かれた何種類ものビラが、法人本部の窓とドアをすべて覆い隠していたのだ。圧倒された。丘の上にある法人本部は、今まさに昇ろうとしている朝日に燦然と照らされ、窓ガラスに貼られたビラたちが、黄金色に輝いているのだ。その光景は、荘厳ですらあった。

「井田、やったな。」

「伊里橋。これで、過去の東神大生と将来の東神大生に顔向けできるな。」

「すごいですよ、井田さん。」

僕は、思わず大きな声をだした。

 僕たちは、日が昇りきるのを、タバコをふかしながら眺めていた。僕は思った。東神大にもこんな綺麗な場所があるんだなと。

7.

 1月25日。スト最終日。午前九時。僕たちは、正門前にいた。機動隊が、昨日導入されなかったので、今日からの後期試験が中止されるのは決定的だった。

「伊里橋、当局なかなかき来よらんな。」

「いや、学生の数も少ないと思うで。」

そこへ、サクラ工作隊の隊員が情報を持ってきた。

「伊里橋さん。後期試験中止なりました。今駅前で大学職員が出て、学生に言うてますよ。それに、大学は今朝から立ち入り禁止になったから一般学生は、このまま帰れと。」

「伊里橋。」

「井田。」

僕は、せめて後期試験だけでも中止にできたことに満足であった。井田先輩も、きっと卒業できると喜んでいると思った。

「伊里橋。すぐストのメンバー社自のボックスに集めろ。」

「井田さん、何慌ててるんですか。」

「佐々木、お前ほんま人ええな。何で当局、職員出して学生を駅でユーターンさせてる思うんや。」

「後期試験中止やからでしょ。」

「甘いなあ。機動隊導入するからやないか。一般学生おったら邪魔やろが。検挙しにくいやろが。」

「えっ、そんなことするんですか。」

「とにかく、メンバーに言うて、社自のボックス集合や。」

 10分もしないうちにメンバー全員が、社自のボックスに集まった。

「皆もう知っとると思うが、ついに機動隊導入や。俺らこのまま大学構内におったら、検挙される可能性大や。」

「どうするんですか。井田さん。」

「どうするて、逃げるんやんか。」

「逃げるんですか。」

浜坂が不服そうにいった。

「いやか。」

「ちょっと。」

「ほな、おって捕まってもええか。田舎のお母さん泣けへんか。」

「泣きます。」

「そやろ。ええんや。逃げて。俺ら、セクト違うんや。プロと違う、アマチュアや。だいたやで、闘争のプロの全学パルチザンかて昨日から逃走しとんや、ちゃうか。アマの俺らがこんだけ頑張ったんや。後期試験も中止にしたやろ。大学当局に一矢報いたで。東神大の先輩方も後輩になる方も認めてくれてるで。そうやろ、浜坂君。」

「はい、そうです。」

「君、ええ子やね。佐々木君、少しは浜坂君見習って、先輩の言うこときけよ。それでは、皆さん。これより逃走します。」

 僕たちは、甲南館の裏を通り、キャンパスの北側に抜けた。そして、一つ手前の駅へ向かった。もう機動隊に捕まることはない。徹夜あけにもかかわらず、元気に楽しそうに喋りながら歩いている。浜坂が、井田先輩に近づいて行った。

「あの、井田先輩。」

「おお、浜坂君。何や。」

「一つ聞いてもいいですか。」

「ええよ。何。」

「カンリュウカイって何ですか。」

「ああ、カンリュウカイか。」

「ええ、カンリュウカイってどんな組織ですか。」

「わっはは、カンリュウカイは、関西地区留年友の会の略や。メンバーは、俺と伊里橋君の二人だけや。よかったら、浜坂君も入る。」

「いえ、僕。サクラ工作隊で満足してますから。」

「そうか、そらしゃあないな。ほな、佐々木君、金将のラーメン食べにいこか。」

 その後、83年度学費闘争に忽然と現れたカンリュウカイとサクラ工作隊の情報を得るため、大学当局は学内の各方面に接触を試みたが、その正体はついに判明しなかった。


















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