自立U
昔は、このあたりでも裕福で有力な家だったのだろうと思われる庭や建物の造作。その面影もほとんどなくなってしまったような玄関の戸を開けると、足元をひんやりとした空気が流れてきました。流しがあることで、かろうじて台所であるとわかるその場所には、何かがびっしりとこびりついたフライパン、カップラーメンの空き容器、それらに交じって何種類もの請求書が無造作に積み上げられていました。
その台所をつま先立ちで何とか通り抜けると、K子の部屋があります。大きな声で呼びかけますが、返事はありません。いつもの居留守と思ったのですが、様子が違いました。中途半端に開いたふすまの間から、だらしなく敷きっぱなしの布団、そこらじゅうに散らかるビールの空き缶、吸殻でいっぱいの灰皿等々が見えました。K子の唯一の移動手段である自転車は、庭に放り出されています。歩いて遊びにいけるようなところは近くにはありません。以前から付き合いのある仲の良い若者と一緒であると考えるのが、嫌ではありましたが、一番無理のないことでした。
様々な事情から、K子とその若者の付き合いには、多少、学校もかかわっていました。K子は高校生であるので、無断で学校を休ませたり、連れまわしたりするようなまねだけは絶対にしないこと、これは最低限の約束でした。あってはならないことでした。「ふたりでちゃんとやっていきます」と言ったときの若者の真剣な表情を思い出します。裏切られたという気持ちでいっぱいでした。
とにかくこれは、未成年者略取の疑いをもってかからなければならないと学校は判断しました。電話はもちろん、考えられるあらゆる方法で連絡をとるべく行動を起こしました。市内のゲームセンターやコンビニ、若者が出入りしそうなところを注意深く見てまわりました。それでも手がかりはつかめませんでした。とりあえず警察の生活安全課に状況を説明、いざとなったら即座に動いてもらえるように依頼して、連絡を待ちました。
持久戦になることを覚悟し、簡単に夕食をすませた頃、職員室の電話が鳴りました。推測どおり、例の若者と一緒です。現在地を聞き取り地図で確認、すぐに学校に戻ってくるように言いました。もちろん、30分ごとに必ず学校に連絡すること、1分でも遅れれば警察が動き出すことも伝えました。約束の30分がせまり、発信ボタンを押すだけで警察につながるところまで準備したところで連絡がはいることもありました。が、幸い連絡が途切れることはありませんでした。連絡があるたびに、広げた地図で移動ルートを確認。所要時間と距離から、間違いなく学校に向かってきていることがわかりました。日付がかわる頃、ふてくされた顔をした二人がようやく学校に戻ってきました。灯りをもたなくても歩けるほどの月の明るい夜でした。
卒業後は、一人で生活する力を身につけるために施設を利用することになりました。施設は、真剣に彼女の自立に向けた取組を展開してくれました。でも、それが長続きすることはありませんでした。市の福祉担当者から、彼女が例の若者のところへ正式に(といっても住民票の移動のみで結婚ではありませんが)行ってしまうことを聞きました。これまでの経過から、将来を期待できるとは思えない。何とかして思いとどまらせたいと思いました。が、若者から、学校の先生の話は聞くなと指示されていたようで、連絡をとることができませんでした。
転出の手続きをする日、ようやく市役所でK子をつかまえました。福祉担当者と二人で、もう一度良く考えるよう話しました。同級生の近況、行ってしまってからの想像できる生活の様子、まだ今なら間に合うこと等々。理解はできたはずです。でも、だめでした。
最後にK子に姿勢を正させ、福祉担当者にお世話になりましたとあいさつをさせました。結局、ぼくにできたのは、それだけでした。
K子の近況を伝えるいろいろな情報を耳にしました。何とかがんばっているのだなという話であったり、やっぱりそうなってしまったかという話であったり。
一年を過ぎた頃、K子は帰ってきたそうです。一人でした。
中途半端に二人でなくて良かったと思いました。
そして、とりあえず元気そうであると聞いて安心しました。
自己選択、自己決定、自己責任からなる自立。
厳しい自立でした。