小窓からの風景『おふろにはいろう』




脳に刺激

 

一年間かそこらしかつきあいがないのに、毎年年賀状や暑中見舞いをいただくことは大変うれしいことです。その中のひとり、Kくんはいつも自筆の一言を加えてくれています。

しかも、毎年達筆になっています。

 

Kくんと初めて出会ったのは病院の一室でした。交通事故のために重傷を負い、生死の境をさまよい、半年間を経てようやく学校生活の再開が検討され始めたのです。とは言っても、ベッドに横たわったKくんは、包帯やら何やら全身痛々しい姿で、声をかけても聞こえているのかどうかも判断できないような状態でした。

 

ベッドに寝転んだまま、Kくんの登校は始まりました。学校生活の再開です。

 

主治医の話

  意識不明の状態が長かったので、ダメージは大きい。

婦長(当時)さんの話

  家族でまた、元どおりの生活を送ることができたらと思う。

理学療法士の話

  全身の筋肉が硬直しないようにする。

作業療法士の話

  意欲をもたせたい。

言語聴覚士の話

  言葉は戻らないだろう。

 

毎日ベッドを転がされて学校には来るものの、どうしたものかと手をこまねく時間が続きました。

 

多分、車いすは一生手放せないだろう。手も、自由に動かすことは想像しにくい。要するに、全介助の生活が予想されるのです。そうであるならば、少なくとも、何もかもされるがままの生活ではなく、自分の意思を主張できる生活を送ってほしいと考えました。自分の意思を伝えるのに便利であるのは、一般的に考えてやはり言葉です。ただ、右半身に麻痺があることを考えると、脳の左側が大きく損傷しているはずで、そうすると、言語面でのダメージは避けることができない、ということ等は僕の目から見ても容易に想像できることでした。

 

さっそくSTのところに相談に行きました。

 

「先生、何とかしゃべれるようにしたいんですけど・・」

「難しいなあ。たぶん、声は出るようになっても言葉は無理と思うなあ」

「そこを何とかしたいんですけど。学校でできるような取組はありませんか?」

「学校でねぇ・・ まあ、脳の活性化をはかることかなあ」

「なるほど・・脳の活性化ですか・・で、例えばどんな方法で?」

「まあ、脳に刺激をあたえることやなあ」

「脳に刺激ですね。 ・・・それで・・・うーん・・・ わかりました」

特に何かがわかったわけではありませんが、とりあえずその場を収めて部屋を出ました。

 

脳に刺激をあたえるには、

1 全身の動き

2 大きな筋肉の意思をもった動き

3 おいしいものを食べる

4 好きな音楽を聴く

5 楽しく過ごす ・・・・・

というようなことだな、などと考えながらいろいろとやってみることにしました。

 

ただ、2については、まだ動かしてはいけない状態であったということ、3については病院の食事なので何ともしようがないということ、なので、とりあえず、残り3つを意識して始めました。

 

1 体育館にセットしたエアートランポリンに、車いすからおろしたKくんをおそるおそる転がします。全身かちかち状態で転がったKくんは、不安と痛み(がどれくらいであったかわかりませんが)で顔をしかめます。30秒程度からはじめ、日を追うごとに少しずつ時間を伸ばし、揺れも加えていきました。決して楽しそうではなかったし、これが、脳にどれくらいいい刺激を与えているのかもわかりませんでしたが、とにかくやってみました。

 

4 どんな歌が好きだったかをお母さんに聞いて、カセットテープを用意しました。音楽の教科書の歌だったり、テレビアニメの歌だったり、六甲おろしだったりです。最初の頃は聞こえているのかいないのか、ただ、トランポリンの時よりは表情がリラックスしているので、こちらも安心でした。

 

5 クラスのみんなとわいわい楽しく過ごす雰囲気を味わえるよう環境を整えました。ゲームだったり、歌だったり・・・

 

そうこうしているうちに、ある変化がみられるようになりました。好きな歌、野球、家族、前の学校のことなどの話題や音楽、映像に触れるとき、わずかですが、目つきが変わったり、表情に勢いが出たり、口元がもぞもぞと動き出したのです。これこそ、脳にいい刺激が加わっている証拠だっ! そう確信しました。

 

それからは、Kくんのどんな表情の変化も見逃さないように注意しながらの取組となりました。身体を動かしているとき、音楽を聴いているとき、話をしているとき・・・そして、そのときどきのどんな変化にも丁寧に対応することで、それが十分に伝わっていることを伝えました。フィードバックというやつです。

 

手を動かせるようになると、バットを持たせました。そしてみんなと一緒に野球です。彼が何とか落とさずに持っているバットにボールをあて、「でたーっ! まんるいホームラーン! 阪神タイガース逆転勝利ーっ!」などと叫んでやると、これ以上ない興奮状態です。そして、六甲おろしを一緒に歌ってお祝いです。

 

そういうようなことを来る日も来る日も続けました。

そして、何とか、お互いに努力すればコミュニケーションできるだけの言葉が戻ってきたのです。

 

主治医の話

  退院です。

婦長(当時)さんの話

  生活のことは私たちが考える。学校のことは、先生がきっちりと対応してください。

理学療法士の話

  今の状態を維持できるようにしたい。

作業療法士の話

  よくがんばったわ。

言語聴覚士の話

  ここまで言葉が回復するとは思っていなかった。もっと早い段階からきっちりと取り組んでおけば良かったということか・・・

 

この後、多少いろいろと問題はありましたが、無事もとの小学校に復帰できることになり退院しました。

 

つづく