小窓からの風景『おふろにはいろう』




朝のトレーニング

 

とりあえず毎日走ってはいるけれど、この校舎の2階の廊下を一周すると大体何メートルで、だから、20週走るとどれくらいの距離になるとかいうことは、誰かに聞いたことはないし、もちろん、自分で測って確かめたこともない。子ども達も、そう深くは考えないで走っているに違いない。体力をつけたいとか、ダイエットしたいとか、そういうことは多分、考えてはいないだろう。学校に来て、着替えたら走ることになっているのである。

 

上着を脱いで靴下をきっちり引き上げると、ぼちぼち走り出した。Kが僕の肩をちょんとつついて走り去っていった。朝のあいさつである。Oが何やらゴニョゴニョ言いながら、そして首を振りながら僕を抜き去っていく。彼などは、ずっと走っていろと指示すると、一日中走っているかも知れない。それくらいの体力はある。Mは、自分の顔をぺしぺしたたきながら、ふらふらと走っている。何周かすると、廊下を走る人数が増えてきた。誰かとぶつからないように走る技術は、それぞれなかなかのものである。

ちょっと、トイレにでも行って休憩しようと端によって走った。

 

角を曲がると、Sが寝転がって暴れている。大声でわめきながら手足を力一杯動かして何かに抵抗しようとしている。担任が一人で押さえつけて収めようとしているが、体力的にも無理がありそうに感じた。仕方なしにしゃがんで、一番良く動いて担任に攻撃を加えようとしている両足を押さえつけた。Sと担任の過激なやりとりは続いているが、見えない聞こえないふりをして、ただ、足を押さえた。しばらくして、Sの足から力が抜けた。ようやく僕と目があった。足をはなして手を差し出して握手した。そして「先生はトイレに行こうと思っていたのに、途中でこんな事に出くわしてしまって、もう少しでもれてしまうところであった」というようなことを言ってその場を去った。

 

Sほどではないにしても、このトレーニング中に、何やら不快感を表したり不機嫌な様子を示したりする子ども達はよく見かける。ちょっとしんどいと思っているのに、もっと速く走れと追い回されたり、手を引っ張られたり、ちょっとトイレに寄ったら、さぼっていると言われたり、なかなか大変なのである。

 

体力をつけるためにこれくらいの負荷を与える必要があるとか、時速9キロメートル以上で走って脳の活性化をはかるとか、何かそれぞれの個人に合わせて具体的な目的があればもっとわかりやすいのだろうと思う。そういうことを考えながら、大人である特権を利用してトイレでゆっくりと休憩する。

 

トレーニングの列に戻って走り始める。気がつくと、MKO3人横に並んで走っている。それぞれの走り方で、でも、まっすぐに前を向いて走っている。走るスピードが違うので、この光景はなかなか見られない貴重なものである。合わせて走ろうなどとは考えない3人である。ちょうど3人並んでいるその数秒間が、とても大切に思えた。

 

そしてふと思った。

この子ども達は、どこに向かおうとしているのか。

私たちは、どこに向かわせようとしているのか。

 

「この子らのゆく道はひとすじ、はるかなれども迷うことなし」

近藤益雄『道は遠けれど』(大月書店『この子らと生きて』より引用)

 

この言葉を理解できるまで、この仕事をやめるわけにはいかない。