僕の生徒に手を出すな!
去年一年間で、教室内での大抵のことには落ち着いて対応できるようになってきたつもりではあったが、今日、久しぶりにまいった。自分の力量のなさを棚に上げた発言や生徒の膝を血まみれにしても気にもとめない状況の数々。こんな時は温泉に限る。温泉であのときのことでも思い出しながら、ふーっと深呼吸でもしたら夜までには落ち着けるはず。とっとと帰り支度をして逃げるように校門を出た。
あのときのことも、実は温泉でのことである。学校行事で温泉に入る機会があって、入浴時間の調整のためにロビーのようなところで生徒とともに時間つぶしをしていたときのことである。普段ほとんど接することのない若い男の講師が話しかけてきた。何となく、おばさん達が天気の話をするような感じで聞き流しとけば、ぼちぼちいい時間になるだろうと考えていたのだが、なかなか力のはいる話になってきた。
自分はこの学校に来るまでは障害のある子どものことは何も知らなかった。ここに来ていろいろ考えることができた。この子達も障害のない子と何も変わらない、がんばって伸びていこうとしている。自分の家族にもいろいろ話す。不思議そうに聞いているが、この子達のことをわかってもらいたいと思っている。自分はここに来て本当に良かったと思っている。何も知らないまま高等学校の体育教師になってしまっていたらと思うとこわい気がする。障害があるのは事実であるが、特別にしすぎていることがあるように思うことがある。ここにみんな集めてしまうことが、本当にいいのだろうか…等々
訥々と話す彼を見ながら、久しぶりに人の話を聞いて鳥肌がたったと思った。もっともっと時間をかけて話を聞いて、そして、僕の考えも聞かせたいと思った。話がどんどん盛り上がっていこうとしたころ、「せんせーっ! ○○くんが女風呂に!」の声で現実に引き戻され、そこで終わった。同じ学校でありながら本校と分校ということで残念ながらほとんど彼と出会う機会はない。
彼のような若い講師を一人か二人配属してもらえたら、10人くらいのどんな生徒でも喜んで担任したいと思う。試しに、今いる子ども達とのかかわり方を、頭の中で簡単に彼に伝授してみることにした。
K夫
したくないことをさせられたり、がまんさせられたり、ばかにされていると思ってしまったりすることが続くと、ストレスが徐々にたまり、最終的には暴発。特定の人を傷つけてしまうことがある。顔をしかめたり爪をかんだり貧乏揺すりをしたらそれが合図。ぷすっと空気を抜くようにリラックスさせる方法を考えてやる必要がある。同時に、そういう状況にまで至らせないこと、つまり、必要ではない負荷をかけないこと、ばかにしたりおもしろがったりするような対応をしないことが当然基本となる。
N美
保護者の過保護と過期待にいちいち反応しないこと。普段の指導についてきっちりと伝えることができたら、何ら問題はない。つけこまれていると考えてしまうのは、自分の指導に自信がないからで、必要となる当たり前の指導を当たり前にやっていれば全くどうということはない。昔ながらの愛すべき子どもである。
S太
とにかくスムーズに動くことがほとんどと言っていいほどない。全身の力を込めて抵抗する。おもしろがって遊んでいるのではない。これまでのかかわり方が、彼にそうさせてしまうような結果となっている。不安なのである。どこに行くの? なにがあるの? なにをするの? それなのに、手首を引っ張られ、腕をつかまれ、両脇をかかえられ、手首をねじ曲げられ連れ回される。そういう方法で自分から動くようになるとは考えられない。時間をかければ自分から動くのである。そのことを自分で確かめて欲しい。何もあわてることはない。自分から動いてそのことに満足できなければ、自分から動くようには決してならない。
T助
体の調子等により、自分の思い通りにならないと自分や他人を傷つけるほどの勢いで暴れることがある。薬である程度コントロールされているので、大抵の場合、落ち着いた対応で指導が可能。それが通じないときは、体の変調等が考えられる。そんな場合は、他人に迷惑をかけない範囲で思い通りにさせることも可。ほとんどそれで問題はない。上下関係をわからせることが大切であるとばかりにいたずらに威嚇し、従わせることには何の意味もない。一生T助とともに暮らすのであれば別であるが。
D郎
ここまで落ち着くのに、薬の力も借りながら一年半かかった。波はあるものの概ね落ち着いて過ごせている。薬の種類が変わったり飲む量が変わったりすると調子が狂ってくるのは当然のこと。それをいちいち最悪であるとか絶不調であるとか薬をふやせとかいう必要は全くない。それを言う暇があるのなら、彼を落ち着かせるために自分には何ができるのかを考えること。それもできないなら、黙ってみている方がまし。
S子
何を勘違いしているのか、自分は全て正しいと思っており間違いを認めることはしない。腹が立つこともある。しかしながら、所詮中学生の言うこと。これをいちいち真に受けて反応することは大人のすることではない。これをなおしていくためには、時間が必要となる。間違いは間違いであると自覚させるための方法を試しながら、学校卒業後、困らないようにしていくことが一人前に給料をもらうもののつとめである。
T吉
放っておいてよい。機嫌をとる必要もないし、つまらないことでいじけさせることもない。ただ、中学3年生として接することでそのことを自覚させること。それで十分。
要するに全くなんら特別なことではない。当たり前のことである。しまいには、露天風呂の隅で寝転がってあれこれ考えながらそこに到達した。やはり、自分は何も特別なことを要求しているのではない。逆に、これができないのだからどうしようもない、のである。
今さら何か難しいことをして下さいと言うつもりはない。ただ、お願いだから、僕のかわいい生徒達に手を出さないでもらいたい。何もできなくてもいいから、無理にしているような振りをしなくてもいいから、変な気を使わなくてもいいから、とにかく、僕の大切な生徒達に手を出すな! そうさけんで、今日の温泉も全くもって大変に意味のあるものになっていくのである。