小窓からの風景『おふろにはいろう』




見ること 待つこと 

 

やさしい先生という言い方をされることがあって、ふーんと思ったりします。やさしいの反対がこわいとかきびしいで、しょっちゅう大声を出したりこわい顔をしたりする、もしくは力ずくで動かそうとするということがあげられるなら、やさしいということはうれしいことです。ただ、やさしいという言葉の裏に甘いという言葉を多少感じないことはないのですが。

 

昔からそうなのですが、座り込んでしまって動かないとか、適切ではない行動を子どもがとっても、直ちにそのことに対してこちらの意向を示すことはしません。もちろん、心身共に危険が生じることが分かっている場合はその限りではありませんが。

 

そのまま放っておいたらどうするのかを見てみたいという気持ちが根本にあります。座り込んでしまって動かない場合、そのことが何を意味するのか、どれくらいの時間座り込んでいるのか等々です。何を考えているのかいないのか、子ども達の不思議に見える一つ一つの行動にも全て意味があるし原因となるものがあるはずと思っています。

 

そんなに大きな体でもないし、筋肉もついているわけでもない。それなのに、大変な力で抵抗してくる子どもがいます。絶対に連れて行かれまいとして、徹底抗戦の構えをとります。身体全体を抱きかかえるようにして持ち上げると観念するのか意外におとなしくなるのですが、それまでがなかなか大変です。暑い季節はお互いに汗びっしょりになって息も上がります。トレーニングをしているわけでもないのに、どう考えても必要以上の力を身につけてしまっていると思えます。

 

人間が全力を出し切れるのは7秒間であると聞いたことがあります。だから、両手を胸の前で合わせて全力で押し合うことを7秒間続けるトレーニングは上半身のトレーニングとしてはなかなか効率的であるということです。もしかすると、そういうことかもしれません。小さい頃から力で動かされることを日常的に経験してきているということです。強引に立たされる、歩かされる、したくないことをさせられる。または、何をさせられるのか分からないのに動かされる。それに必死で抵抗する。7秒間どころか、勝負がついてあきらめるまで、全力で抵抗する。その力の入れ方が、中学生としてはそう必要とは思われない力を身につけることにつながっているのではないかと考えるのです。

 

だから、力はできるだけ使わないでいたい。それに対抗する力をいやでも身につけていくことにつながるからです。また、大きな声で威嚇するようなこともしたくない。そうされなければ動かないようになってしまうかもしれないからです。

 

あらゆるストレスを否定するつもりはありません。場合によっては負荷を加えることも必要でしょう。ただ、原則的に、自分から動いて何かに取り組んでいくことができるように育てることが自分たちの仕事だと思っています。そして、育てたようにしか子どもは育たないという当たり前のことを常に意識して大切に考えたいと思っています。

 

この人が言うならがんばってみよう、とか、この人がおこるならこれはやめた方が良い、と子どもが思うような関係をつくること、これを大切にしたい。基本はまず、全てを受け入れていくこと。 なにがしたい? どこにいきたい? それから?… 時間はかかるけれども、長い目で見たら力で従わせるよりも絶対にお互いのために良いはずです。学校という1年単位で考えるから、手っ取り早く力にものを言わせてしまうことになるのでしょう。中学生であっても遅いことはない。これからの人生の方が圧倒的に長いのですから。

 

これを書きながら思い出した、じっくりと見て待ってわかったことのいくつか、今度書いてみようかと思います。