学校 がっこう ガッコウ… D
目の前の子どもたちとは、毎日楽しくやっていました。なかなか好きになれない子もいましたけれども。ただ、何か、こう、支えというか、拠り所というか、そういう何かがあればと思っていたときがありました。そんなときに、職員室で小耳に挟んだのが田村一二先生の名前です。
「やっぱり、タムライチジさんの本は読んどかないとねー」
タムライチジ? だれそれ?どんな字?
今のようにインターネットで何でも調べられる時代ではありません。近くに大きな本屋さんもありません。次の日曜日、早速梅田の旭屋書店へと向かいました。障害者福祉のコーナーだったと思います。ありました。田村一二「ぜんざいには塩がいる」
「いうことをきかん、先生のいやがることをする、先生に乱暴するというのも、子どもが先生を試しておることがあるという。先生もいろんなテストをして子どもを試すけれども、子どもも先生を試すことがある。ただ、そのやり方が大人のテストとちごうて、わざわざ先生の前で小便してみたり、脱糞してみたり、先生に噛みついてみたり、大人から見たらどうしようもないことをやる。それでわいわいとさわぐと相手は、ははん、こらまだあかんなと思うて続ける。呑気な顔ができるようになると、ははん、この先生は及第やというようなことで、子どもの方のテストは終わるというようなこともあるらしい」 (田村一二「ぜんざいには塩がいる」柏樹社 1985より引用)
なるほど、そういうことか。すべての文章がスムーズに頭に入っていったことを覚えています。今でも、手元においています。ぱらぱらとページをめくることもあります。しかも、この部分、今気づきましたが、この前も引用しています。
「茗荷村見聞記」
ここに、漠然と自分が抱いていた理想というようなものがありました。しかも、滋賀県において、実際に村を作る活動を展開中と知りました。早速連絡を取り、琵琶湖のほとりへと向かいました。月に一度の土曜日、学校を終えると最寄りの駅に車を置いて電車に飛び乗ります。何回か電車を乗り継ぎ、日が沈む頃、ようやく会場である保育所に到着。そこの2階で学習会のようなことが始まります。田村先生を始め、その活動に共感し協力しあう人たちがその熱い思いを語り合います。材料費として300円をはらって手作りのカレーライスをいただきながら、恐れ多くも田村先生に自分の思いをぶつけていました。
田村先生の著書は全て手に入れ読みあさりました。茗荷村の情報は、手紙のやりとりで逐一手に入れました。実際に村で一緒に働かせてほしい、そう思って、具体的に動きはじめたこともありました。が、諸事情により断念。結局、今にいたります。
僕が持っている田村先生の「腹の虫にきく」(光雲社)には、直筆のサインがあります。学習会のおりに、是非にとお願いして書いていただいたものです。これは、かなりの自慢です。
この田村先生との出会いが、糸賀一雄氏、池田太郎氏を知ることにつながり、さらには、近藤益雄氏の実践にも共通点を見いだし共感できることにつながっていった。このあたりの人たちは、何年たっても今の自分の有り様をただしてみるときの一つの精神的支柱であり基本です。だから、この学校がなければ今の自分はありません。