CT 発展編
CTは、学校においてのみ完結するものではない。
事例1
事情により近隣他府県施設に入所
転校後半年足らずのある日、励ましや引継ぎ等のため、施設を訪れる。何となく気恥ずかしそうな表情を見せる本児を待たせて、施設指導員や転出先の担任と話をする。ひと段落着いたところで本児と向かい合う。
「元気そうやな」
「うん、まあな」 言いながら、部屋を出て行く。
照れくさいんだろうなあと思いながらその背中を見る。
少しして、はあはあと息を弾ませながら帰ってくる。
手には、黄色いゴムボール。
「なあ、せんせい。キャッチボールでもしよか」。
「よっしゃ、ひさしぶりやな」。
一球一球にいろいろな思いが乗せられてくる。くやしさ、さみしさ、いらだち、がまん… 自分の意の届かないところでの様々な出来事に精一杯対応しようと無理をしているはず。それらを全て、はにかんだような笑顔に包み込んでボールを投げてくる。最後かもしれない、と思いながら、負けない笑顔でていねいに、しかも力強くボールを投げ返した。
事例2
修学旅行において東京遠征、東京ドームでのゲームを実現
細長い身体を器用に操り、ピッチング、バッティングを楽しむ
修学旅行において、東京遠征が決定。相手は、東京ドームシティ内バッティングセンター所属、東京読売巨人軍桑田投手他。
全盛期を過ぎたとはいえ、桑田の投げる(姿のビデオが配置されたピッチングマシンの)ボールは最低でも80q/h。何が何でもそのボールにバットをあてることが緊急の課題となる。むざむざ空振り三振では帰れない。
それまでの楽しむ野球から大きく方向転換した。まず、素振り。バットを短く持たせ、無駄なバックスイングをなくすことから始めた。スタンスを心もち大きくとらせ、バットを寝かせてかまえることで、かなりスピード感と確実性が出てきた。バントも基本的なかまえから改善した。バットの持ち方、スタンスの取り方、バットと目の高さの関係等。
野球が好きで、自分なりに楽しむスタイルを確立している本生徒には厳しい放課後の練習が続いた。「今日は疲れているので休みます」という声を聞くこともあった。それでも、妥協しなかった。東京で必ず打つ。そのためには、疲れているくらいでは休めないのである。
そして迎えた当日、桑田の80q/hに何とかバットを合わせた彼は、次に高橋(なぜがピッチャーの尚ではなく由)に挑戦、見事数回のファウルを打って見せたのである。しかもバントでは、なんと前に転がすことができたのである。監督としては負けてはならないので、とりあえず上原の120q/hを何とか打ち返し、しびれる腕をさすりながらゲーム後のポカリスエットを一緒にがぶ飲みしたのである。
事例3
身体障害者野球チーム所属、世界大会出場を夢見る。
「もし、都合がついたら、いっしょにいきましょう」というメールに、久しぶりに愚痴の一つも聞いてやろうかとOK の返事をした。第1回身体障害者野球世界大会inスカイマークスタジアム。珍しく、行きの車の中でも愚痴らしい愚痴はこぼさず、野球の話で盛り上がった。球場に到着、たくさんの知り合いにあいさつする彼をみて、少しは大人になったと感心する。昼は彼のおごりで、近くのコンビニで一番高い弁当をごちそうになり、3試合を観戦。JAPANの強さを確認し、球場を後にした。
2年前、卒業後も、どうしても野球がしたいという彼のために、近隣の草野球チームを片っぱしから調べ上げた。通常の野球チームでも、何とか通用するだけのピッチングは指導してきた。バッティングは、実践での慣れが必要とはいえ、なかなかシャープな振りが可能な状態でもある。この際、守備には目をつむってもらって、楽しみとしての野球をさせてもらえるチームがあればと願っていたが、適切なチームが見つからない。最後の手段で、日本最強身体障害者野球チームを紹介、テストの上、入団を認められたのである。
試合観戦中、あこがれの先輩のプレーに一喜一憂しながら、彼はこう宣言した。
「次の大会では、必ず試合に出れるようになります。応援してください。招待します」。
次回大会は3年後、アメリカ大会に決定したと後で聞いた。招待してもらいたい。
終わり