ふろに はいって
『はじめに』
Aくんとはじめて一緒に風呂に入ったのは、彼が二年生の時の夏の合宿の時でした。
普段から、何とかもっとこぎれいにできないものかと思っていたので、ちょうど良い機会と担任からの依頼をこころよく引き受けたのです。あらかじめ聞いていたので、少しの抵抗は仕方がないと覚悟はしていたのですが、彼なりに勇気を持って取り組んだのでしょう、思ったよりスムーズに第一回目の入浴は終了し心地よい夜を迎えることができたのです。 次は冬の自然体験活動の時でした。冬であるので、頭のこってり加減はまだましな方でしたが、これも良い機会なのでしっかりとごしごしと洗い流しました。夜、発熱して大変でしたが、入浴とは関係ないと思っています。
隣のクラスで、あまり詳しく聞くこともなかったので、どうしてAくんがそういう状況であるのか、何となくの理解ですませていました。そういう状況とは、つまり、長らく入浴していないのだなとか、顔くらい洗わせてきたらどうかとか、手を握りたくないなと思ってしまったりということです。
次の年、そんなAくんの担任となり、彼を思う存分何とかできる機会を与えられたのです。手と顔を入念に洗うことから一日が始まります。それだけで、毎朝何となく力がわいてくるというものです。ただ、やはり、それだけでは十分ではなく、足の状況も限界に近く、下着の状況からも、一刻も早く丸洗いしたいという気持ちに駆られる毎日が始まったのです。
保護者の理解、金銭のこと等を何とかクリアし、高等部の理解も得て、学校教育としての体裁も整えることができました。
こうして、僕とAくんの、計画的・継続的な男同士の裸のつきあいが始まったのです。
『見た目を』
残念ながら、Aくんは見た目で損をしていました。皮膚の疾患があり、それをかきむしるようで、その影響がまず、見た目に良くないものでした。「Aくんが、顔から血を流してきています」という報告を聞くことがあったほどです。かさぶたをかいてとってしまうようで、血が少し多めに出てしまったり、その血が長くのびた爪に入り込んでしまったりしていることが、そう珍しいことではなかったのです。
そういう状態というのは、どう考えても人に好感をもたれるはずがないのです。とりたてて好感をもたれる必要はないけれども、誰かに近づいていったときに、それとなくいやがられているような状況というのは、見ていて悲しいものでした。
卒業後のことを考えると、やはり、見た目を大事にしておきたいと考えました。家庭の協力は得にくい状態だったので、毎朝学校での取り組みを始めました。手に石けんをつけて、両手をごしごしと(というにはほど遠いものでしたが)洗う、その両手で顔をごしごしと(というにはさらにほど遠い状態でしたが)洗うことを習慣づけていきました。
手が仕事をするような手になっていないことや、目をつぶることに抵抗があることなど様々なことに気づき、それらを何とかしていかなければと考えながらも、でも、見た目をよくしたい、誰にでも手を握ってもらいたい、ということを第一優先課題として毎日取り組みを続けました。仕上げにタオルでしっかりとふきあげて完了です。石鹸の良い香りとともに一日が始まるのです。
手と顔がきれいになると、次に気になるのは、こってりとした髪の毛と、近づくとほのかに臭うしっとりとした足でした。
『いやなことは』
学校のシャワーは、予想通り大抵抗でした。服は脱いだものの、どう考えても風呂でもないし、頭を洗ったりするところではないと感じたようでした。様々な活動を通してスムーズにコミュニケーションがとれるようになり、指示に対しては、まず、抵抗することなどなかったのですが、このときは別人のようでした。
どこにこれほどの力があったのかと思うほど力を全身にこめてしゃがもうとせず、また、頭をぬらされまいとする姿勢をとり続けたのです。その上、こちらが少しひるんでしまったのが、声です。といってもただの大きな声ではなく、また、わめき声でもない。きいいいいーという音を、いつもより低く太く響かせるのです。聞きたくないし、誰にも聞かせたくない。というより、本人もそんな声など出したくないはずです。いよいよ、何があっても風呂好き、きれい好きにしたいと思うようになりました。
まず、裸になっているのが自分だけであるという状況は誰にとっても不自然で心地よいものであるはずがないので、学校のシャワーは最終手段とすることとし、別の方法をとることを考えました。次に、冷静に観察すると、頭からお湯をかけられても、決して目をつぶろうとしていないことに気がつきました。シャンプーが目に入って真っ赤になっても、目をかっと見開いて、抵抗するのです。顔を洗うときの様子を考えても、目をつぶることがいやだ、だから、頭を洗うことは苦痛だ、という仮説が成り立ちました。
そう言えば、冬の自然体験活動や合宿、修学旅行の夜も、先にうとうとするのは僕で、Aくんが目をつぶってすやすやねているところをほとんど見ていません。夜中に、らんらんと目を光らせて起きているところを発見したときには、さすがにちょっとぞっとしました。家以外の場所で目をつぶることに抵抗があるということでしょうか。
毎日、顔を洗うときに目をつぶることを経験させる、タオルで顔を覆うことに慣れさせる、というようなことを繰り返し、目をつぶってしまっても、取り立てて困難な状況や不具合は生じないということを理解させたいと思いました。
『歩いて』
風呂の用意をもって外に出ると、初めは不安でいっぱいだったようです。どこにつれていかれるのか、頭を洗われるのはいやだな、そういう雰囲気を体中からかもしだしていました。「Aくん、風呂に入って頭を洗おうな」と言っても、ううううううんと頭をふって拒否しようとしていました。
何をおいても、風呂に入ること、きれいに洗うことが、気持ちよいことであることを感じ取ってもらいたいと思っていました。だから、まず、スマイルS山に行く道のりは、何でもないようで結構気をつかったりしながら歩いたものです。
お父さんのこと、お母さんのことを聞いたり、体の調子を聞いたり、歌を歌ったり、周囲の田んぼや畑の様子をたずねたり、風呂への意気込みを確認したりしながら二人並んで歩きました。「うん」「うううううん」で答えてくれました。暑い日も寒い日も、歩きました。途中、子猫を見て喜んだり、車が来たからよけろと指示してくれたり、短い時間ではありましたが、何とも言えない、充実した時間であると一人満足していました。
最後の日の帰りは、それをわかっているのかいないのか、どんどん自分で歩いていって、「まってえな」といっても、「へへへへ」と実に、楽しそうに髪の毛をさらさらと風になびかせながら、小走りで帰っていくのでした。
『ケーキセット』
好きではない風呂に入ったり、いやな洗髪をがまんする。でも、これがあるから・・というものも用意したい。それが、スマイルS山喫茶愛の利用でした。
初めて誘ったときは、遠慮して入ろうとしなかったのが、何回かするうちに、自分から進んで愛の入り口に向かうようになりました。日の当たる暖かい席に座り、おしぼりでていねいに手を拭きます。卒業生の綾さんに「まこちゃん、なににする?」と聞かれ、カルピス、オレンジジュース、メロンソーダから、選びます。そして、運ばれてきたジュースを、本当においしそうに、ストローをつかって飲むのです。てのひらで頬をさわり、「おいしい」をくりかえし、飲むのです。その姿を見ながら飲むコーヒーの味は、格別でした。
サービスでついてくるパンも、もちろんAくんにサービスします。これも、最初は遠慮がちでしたが、まもなく、「いる?」と聞くと同時に手がのびるようになりました。とにかく腹一杯になってもらうことも、大事な教育活動の一つとして、位置づけていました。
さらなる喜びのために、二人でケーキセットに突入することもありました。最初は、見本にもってきてもらったケーキに思わず手を出そうとしていたAくんでしたが、次からは落ち着いてケーキを選択し、待つことができるようになりました。それが運ばれてから、満面の笑みを浮かべながら、一口一口ていねいにケーキに取りかかるという幸せな時間を過ごすことができました。給食の後でも、特に問題はなく、いわゆる別腹というようなもののようでした。
しっかりとおいしいもので腹一杯になるということは、身体をきれいにしたり身なりを整えたりすることと同様に、まず、第一に大切なことであると考えました。
『洗う』
毎週水曜日の午後が、僕とAくんに与えられた入浴の時間でした。少し早めに到着して、喫茶愛で一息ついて、世間話の一つもして、それから風呂に入ります。
まず、浴室にはいるとシャワーから湯がでることを確かめます。途中から水しかでなくて困ったことがあるからです。いきおいよく熱いお湯がでることを確かめると、いすを用意してすわります。僕の都合で、いつも左側にAくん、右側に僕でした。かけ湯だけでなく、体中をきれいにしてから初めて湯船につかるというのが、どう考えても礼儀であると考えざるを得ない身体の状況もあり、寒い日などはかわいそうではありましたが、それはゆずれませんでした。
洗う順は人それぞれあると思うのですが、Aくんの場合は、頭を一番にしました。最初に一気に勝負をすませておきたいという感じです。
シャワーの湯を、まず僕の足、手、ふとももとかけていくことで温度を確認します。そして、Aくんの足から順に上の方にかけていきます。問題の頭へのシャワーの際は、とりあえずいろいろ試した上で、一番現実的で、効果があると判断したタオルをもちいました。タオルを適当な大きさにたたんで目のあたりを覆わせるのです。
何回かするうちに、自分からタオルを要求するようになり、目が充血することもなくなってきました。一度下からのぞき込んでみると、目をつぶることはまだできていませんでしたが、上手に湯が目に入らないようにして耐えているようでした。
通常、シャワーで髪の毛を濡らしてシャンプーを使うと泡が気持ちよく出てくるものですが、なかなかそうはいきません。一度目はシャンプーを髪の毛全体に行き渡らせて、とりあえず流します。次のシャンプーで泡が出てくるので、ゆびの腹を使ってマッサージするように洗います。大量の髪の毛がぬけてしまうことにひるんだり、目にシャンプーが入ってないかという心配があったりもするのですが、それにかまうことなく、3回戦目に突入します。一応「Aくんごめんな、もう一回だけがまんしてな」と口では言うのですが、その時点では僕の気持ちも十分に高まり、せっかくの貴重な機会、徹底的に仕上げたい、ということのみです。ていねいに洗い上げ、シャワーで洗い流し、Aくんのかなりうるんではいるもののほっとした目を見て無事を確認し、大量の抜けた髪の毛が排水口のあたりに集まっていくのを見て、とりあえずの勝負は終わりです。
次は身体に移るのですが、Aくんはまねができるので、向き合って、一つ一つ声をかけたり、タオルの持ち方を教えることで、形は何とか整えることができました。入浴の機会が少ないわりにきれいな肌で、特に力をこめなければならないことはありませんでした。ただ、特に汚れやすい部分は、十分きれいにするのに時間を要することがあり、もちろん、念入りな支援が必要でした。
また、足の疾患への対応も、入浴の際の大切な事柄でした。「大丈夫、何もしないから」
と説得し、足の裏をこちらに向けさせます。
これは、痛いかなという状況でも、放ってはおけません。一本一本の指の間を丁寧に確認しながら洗いました。まさに、頭のてっぺんからつま先まで、むだなもの、必要のないものは全て洗い流したという感じです。
ここまでくれば、あとはお湯につかってゆっくりとあたたまるのみです。スマイルでは、他に入浴している人がいないので、自由に過ごせました。お湯をかけあったり、泳ぐまねをしたり、柔軟体操をしたり、歌を歌ったりしました。正確には、僕がしているのをAくんがあたたかく見守ってくれていたという感じでしたが。
適当な時間になると、あがるか、もう少し入っているかをAくんに尋ねます。その時々によって考えているようで、いつもその通りにしても不都合はありませんでした。
正確には、あがってからがもう一勝負あるのです。髪の毛を乾かすことと、抜け落ちた髪の毛の処理にかなりの時間と労力を要するのです。が、それはすっきりと仕上がったAくんを見ると、それほどたいした問題ではありませんでした。
スマイルの事務所の窓をたたいて係の人を呼び出し、お金(校長先生特製の入浴券)を支払い、「ありがとうございました」と頭をさげ、入浴学習を終えます。帰りは、さらさらになった髪の毛を指でさわったり、頭を振ってなびかせたり、駆け足になったり、にこにこと笑ったりして、とにかく気持ちよくなった、何となく力がわいてきた、そういうようなことを伝えてくれたように思います。そうすることで、僕にも満足感をもたせてくれていたのです。僕とAくんだけの、本当にありがたい時間でした。
『X山荘』
週一回の貴重な入浴機会をのがすと、ちょっとはりこんで王子山公園S山荘の大浴場へと足をのばしました。ここには午前中から入れるので、帰りのバスの時間など気にせずにゆっくりと過ごせることが魅力でした。 学校を出て、少しして右に折れて坂道をのぼっていくと、X山荘があります。スマイルX山への田んぼ道とは違い、ちょっと山をのぼっていくような感じを味わいながら歩きました。時には、寄り道をして小高い山に登ってもみじを見たり、X山川を見下ろしたりしてから、X山荘にはいります。
少し早かったりすると、ロビーにゆっくりと腰を下ろしてそのときを待ちます。土産物店の試食のお菓子をつまんだり、新聞を広げたり、ちょっと旅行しているような気分を味わえるひとときでした。
準備中の札が退くと同時に、腰をあげます。何回かするうちに「こんにちわ」というような声を自らかけるようになり、係のおばさんに「いらっしゃい」とにこやかに迎えてもらえるようになりました。
きれいな脱衣所でいそいそと服を脱ぎ、ロッカーにきれいにたたんで入れ、浴場に入ります。いつも通りしっかりと頭からすみずみまできれいにしてから湯船に入ります。
たまに、一般のお客さんと一緒になることがあります。大きな声を出したり、たくさんの髪の毛がぬけたり、初めのうちはかなり気を使いました。何となく不審そうな目で見られているに違いないと感じることもしばしばありました。また、「たいていやないな、ごくろうさんや」とねぎらってもらうこともありました。
スマイルとの大きな違いは、ぶくぶくの風呂や、打たせ湯、露天風呂があることです。二人だけの時は、泳いだり暴れたりしながら、一つ一つの風呂を順に回ります。僕は露天風呂が気持ちよくて、少しあたたまると、そこにおいてあるいすにだらしなく座って青空を見上げふーっと一息つくというのが何より好きでした。いすは二つあるので、Aくんもそこに座るようすすめるのですが、外でそんなかっこうでだらしなくいす座るというのが納得できなかったのでしょう、なかなかつきあってくれませんでした。
きれいに洗い上げるだけでなく、いろいろなお湯をしっかりと楽しんで、多少、ぐにゃぐにゃになって、あがります。扇風機の風にあたりながら、おいしい水を飲んで、ゆっくりと服を着ます。そして、イオンドライヤーで念入りに髪を乾かします。大量に落ちた髪の毛は、持参したガムテープで一本残らず片づけ、忘れ物の確認をして終了です。
風呂上がりのフルーツ牛乳を飲んで最後の仕上げです。「またきてね」とやさしく声をかけられ、「ありがとう」と応えてS山荘をあとにします。イオンドライヤーでよりさらさらになった髪の毛をなびかせながら、学校へと向かいます。
卒業式の前日、係のおばさんにお世話になったお礼と、明日が卒業式であることを報告しました。「おめでとう。さみしくなるけど、また、いつかきてちょうだいね」といっていただいて、それまでこらえていた涙がとうとうじわじわとにじみでてきました。
『授業研究』
あれこれ打算というようなものもなく、とりあえず、これでいいはずと考えてやってきたことを、誰かに見てもらいたい、できたら、それでいいと認めてもらいたい。そういうことで、この入浴の学習を授業研究の題材としました。
いやがって家では風呂に入らない、大きくなって無理に入れることもできない。だから、多少清潔感に欠けることは仕方がない。という家庭のスタンスに、それでは卒業後の社会生活に支障が出る、と考えたのが入浴学習の始まりです。
風呂に入ることが苦痛ではない、さらに、清潔にすることが気持ちの良いことであると感じる。そのことで、家庭での入浴問題を解決できると考えたのです。
できるだけ慎重に、でも、ここというときには思い切って、我慢することも強いながら取り組んできました。
当日は、当然U先生にも一緒に入ってもらうつもりで、入浴代金とタオルは用意していました。ただ、多少何か問題があったのか、X山荘支配人と校長とのやりとりは見えていました。もしかして実現しないかもと思いましたが、偶然その日のX山荘はこれまでにない混雑ぶりで、そのことが功を奏したようで、入浴学習授業研究がX山荘大浴場で実現したのです。
僕とAくんの後ろには、特殊教育研究所重複障害教育研究部長、Y市立Y養護学校長。そして、それらを何事かと見守るいつもの数倍はいる一般の入浴客。これまでに経験した授業研究とは別の緊張感を感じていました。
とりあえず失礼のないようにタオルを腰に巻こうとして、それが届かないことに気づき、言葉通り、いつものようにやればいい、かざったりかくしたりすることはないと考えました。
いつもの場所に陣取って、僕はAくんの耳元で「なあ、今日は大きい声ださんといてや」と頼みました。「うん」と力強くうなずいてくれたものと確信すると、それまでの何とも言えない高ぶりのようなものは落ち着いてきました。
お湯の温度を確認し、頭からシャワーをかけました。シャンプーをつけて洗い出すと、遠慮がちに「きいいいい」という声をAくんは出しています。やっぱりいやなんです。でも、なんとかがんばります。早く終わってほしいです。そんなAくんの声も、聞こえました。
途中、表情や皮膚の状況を確認して頂いたり、ぬけた髪の毛のことまで気にした頂いたりしながら最後までAくんはがんばりました。そのあと、四人で湯船につかっての研究協議が始まりました。輪になって、少しのぼせてくるのを感じながらも、一つ一つ聞き逃さないよう集中しました。
頭の洗い方、身体の洗わせ方、当然ですが、そういうことについて詳しく指導助言をいただきました。シャワーのかけ方から体を洗う見本の見せ方のようなこと等について、考え方や方法を認めたいただけたように思います。その時のU先生の曇っためがねの奥の真剣な目は今でもはっきりと覚えています。この先生に一緒に風呂に入っていただいて、全てを見ていただいて、本当に良かったと思いました。
いつもより充実した、そして少し疲れた入浴を終え、いつものようにフルーツ牛乳を飲み外に出ると、なんとK校長タクシーが待っていました。おそれおおいことと思いながらも、外の寒さを考えるとありがたいことでした。 こうして、二度とないような、緊張した、充実した、贅沢な入浴は終了しました。自分の考えと、してきたことを認めていただけたこと、日本の特別支援教育を代表するU先生とK先生に、失礼ながらも生の尻を向けてしまったこと。この二つは僕にとって大きな自信となり、また、数少ない自慢の一つになりました。
『一年たって』
作業所紙ふうせんで、Aくんは元気に過ごしています。いつでも、大きな声と大きな手振りで車を誘導してくれます。進路先についてはいろいろと思い悩んだのですが、そういう姿を見ていると、これで良かったのかなと思います。
入浴や洗髪がいやでなくなっても、Aくんは家で風呂にはいることはありませんでした。どうしようもない複雑な家庭の人間関係が原因です。
夏の暑い日、隣に座ると何とも言えない懐かしいにおいを感じることがありました。すぐにでも、ひっぱってでも、風呂に連れて行きたいと思うこともありました。それとなく、近況を支援者の方に伺いながら、入浴や洗髪のことについて遠回しにお願いするようなこともありました。
この前もAくんは元気にむかえてくれました。元気に仕事をして、楽しくて仕方がないというような表情を見せてくれます。ただ、支援員の方の話からは、家庭の状況は全く変わっていないということが容易に想像できます。だからこそ、作業所が安心できる楽しい場所になっているのでしょう。
作業所の風呂にも慣れて、よく入れてもらっているそうです。また、支援費でデイサービスを利用し、そこでの入浴も検討されていると聞きました。家庭の中のことまで、とやかく言うことは難しい。せめて、身辺の清潔ぐらいは保って、元気に過ごしてほしい。作業所でも、そう考えてもらえています。
何となくしんどかったり、いやなことがあったりしたとき、風呂に入って頭を洗ったりすることで、気持ちが前向きになったり、元気になったりすることが僕にはあります。せめてAくんにも、そういう機会をもたせたい。そう思って続けてきた取り組みが、今も生かされている。にこにこと隣でおやつを食べているAくんを見ながらそう思って、僕も静かにコーヒーをごちそうになりました。
『終わりに』
自分が仕事として取り組んでいることで一番大事なことは、この、風呂に入って頭を洗ったり、体を洗ったりすることではないかと思うことがあります。
障害があるために身につけ続けてしまったかもしれないいろいろな必要のないものを、洗い流してしまうこと。ゆっくりとした時間を過ごし、リラックスすること。そういうことから、次に向かう力がわいてくるのではないか。
いろいろなことを身につけさせようとがんばってしまうのですが、その前に、まず、それぞれがもっている本来の姿、美しさを取り戻しておきたいと思うのです。そのために、つきあっていく自分も、当然本来の姿、裸の自分でいられるように意識して努力します。
そういう専門的でも何でもない、通常の生活では当たり前のようなことを改めて意識する。普通のことを、普通に考えて、普通にやっていくこと。それを忘れないようにしたいと考えます。
たまに、一人で温泉大浴場のようなところに行きます。鏡の前に座り体など洗っていると、左隣にAくんがいないことを意識することがあります。あのときはああだったとか、あれにはまいったとか、いろいろと思い出します。一人は一人でゆっくりできるのですが、やはり、一緒にいてくれたらあれもこれも話がしたい。そう思ったりします。
風呂上がりのポカリスエットを飲みながら、いつか、Aくんと風呂上がりのビールを飲んでみたい。しかも、Aくんのおごりで。そう思っています。そのことを紙ふうせんで話して、Aくんに快い返事をもらうこと。それが目下のところ僕の課題の一つでもあります。