家族のように思って治療を
=これが良いドクターの条件?=
私は小児科医でもあり、内科医でもあるので、家族が病気になると私がまず診ます。妻と娘2人ですが、普段患者さんに優しく接する私も、相手が妻や娘になると、少々ぞんざいな言葉を使ってしまします。「こっちへおいで。」とか「早く、ここで横になって。」といった具合です。そして、簡単な採血に失敗し、妻にも娘達にも冷たい目で見られたことがあります。これは、家族が相手だから、無意識の内に過剰な情が入ってしまい、その結果、望まない方向に行ってしまったからでしょう。普段は採血が得意の私ですが、それ以降家族の採血は看護師さんにやってもらうことにしています。
ある診療行為をする時、よく「患者さんを家族のように思って治療する」ということが、金科玉条のように言われる時があります。これには、家族と接するように、愛情を持って、ベストの診療をする、という含蓄があるのかもしれませんが、ちょっと待ってください。本当に患者さんを家族のように思ってやるといい診療ができるのでしょうか?家族が相手だと、診療の詳しい説明を必ずしもしないかもしれません。「オレにまかせろよ。最善の治療をしてやるから。」といった、一方的な説明で終わってしまうかも知れません。家族だから余計、いろいろな質問に対して、必ずしも、正確に答えないかもしれません。
家族が相手だと、普段の患者さんだとするような、基本的なコミュニケーションが欠けてしまうことがあります。医師である夫に、「結婚する前に、2回程人工中絶をしたことがある。」と妻が正直に言うでしょうか、医師である妻に「3年前の東南アジア出張中に、売春婦とセックスし、性感染症になった。」と夫は正直に答えるでしょうか。いつも愚痴の多い連れ合いが「頭が痛い。」と言っても、「またか、たいしたこと無いのに。」と無意識に思ってしまうかもしれません。家族だからこそ余計、診療の大事な問診が、正確にとれないかもしれないのです。
診察も、家族が相手だと、逆に正確にできないかもしれません。思春期の子供の病気の鑑別診断に性感染症や妊娠などが入ってくると、もう医師である父親や母親は、通常の精神状態を保つことができないかもしれません。手術だとどうでしょうか、急性虫垂炎の手術中に、実際には虫垂炎ではなくて、子宮外妊娠と分かったら、父親や母親である外科医はどう反応するでしょうか。「家族のように思って診療する」ことが必ずしも、患者さんの為になるとは限らないのです。「最善を尽くしてやるぞ」と意識するあまり緊張して、最善を尽くすことがでなくなってしまう危険性もあります。
「患者さんを家族のように思って治療する」、という考え方の中には、実は大きな落とし穴があるのです。「患者さんを家族のように思って治療する」ことは必ずしも「患者さんのための最善の診療をする」とイコールではないのです。特に診療に一番大切な問診、診察が形だけになってしまします。「お父さんを信じなさい。」的な診療では、家父長的な、封建的診療になってしまいます。
診療するには、患者さんは、「赤の他人」の方がずっと、医師にとって余計なストレスもなく、正確に診療できるのではないでしょうか。いろいろな手技や手術をする時にあまり、感情導入をすると、正確にできなくなってしまうこともあります。例えば「これをすると痛いだろうな。」と感情導入しすぎると、少々痛くても瞬時で終わってしまうような簡単な手技が、痛いだけで簡単に終わらなくなってしまうことがあります。
他人だと、その人のバックグランドや、今までどんな病気にかかって来たか詳しく知らないといけないので、医師はシステマティックに質問をします。家族だと、なんとなく分かっているので、システマティックには質問しない可能性が出てきます。患者さんとのコミュニケーションを通じて、医師は、病気の鑑別をし、診察・検査、そして治療についてのオプションまで到達することができるのです。家族のように思って診療するというのは、必ずしも、患者さんの最善の治療にならない場合もある、という理解が必要でしょう。患者さんは誰であれ、患者さんにとっての最善の治療を追求するのというのが医師の姿勢のような気がします。