その10  抗菌剤(抗生物質)は正義の味方か?

 

もう何年も前のこと、私が日本の病院で働いていた時の話しです。ある日の午後、5才のAちゃんが、お母さんに連れられて、受診に来たのです。聞くと、近医(近所の医師)を受診していたけれど、風邪がなかなか治らなくて、というのが受診理由でした。その医師は、最新の抗菌剤を3種類も順番に使用したということなのですが、1週間Aちゃんの状態はまったく良くならなかったのです。

Aちゃんは、実は肺炎にかかっていたのでした。それも重症の肺炎です。にもかかわらず、ずっと「風邪」だと思われていました。ウィルスで起こる風邪には抗菌剤は効果はまったくないのですが、何故か3種類もの抗菌剤が順番に使用されていました。最初は風邪で始まったのかもしれませんが、症状が長引く時や、悪化する時は、風邪以外の疾患、例えば肺炎などの可能性が高くなります。診察を注意深くしていたら、Aちゃんの場合、診断がそんなに難しくなかったのではないでしょうか。肺の聴診で、典型的な肺炎の音がしていたからです。私が診察した時点では、すでに重症肺炎になっていたわけですが、その少なくとも数日前にも、肺炎の兆候があったはずです。

Aちゃんに使われていた抗菌剤はいずれも、第三世代のセファロスポリン系の抗菌剤で、小児の呼吸器系の感染では、特定の病気がある人を除いては、あまり適応になることがありません。Aちゃんの場合、ブドウ球菌という、5才の子供にはあまり一般的でない細菌による肺炎だったのですが、Aちゃんに出された3つの抗菌剤のどのひとつもそのブドウ球菌には効果がなかったのでした。ブドウ球菌性の肺炎は、インフルエンザを罹患した後だと珍しくはありません。

Aちゃんが私の外来に来た時、すでに重症の肺炎でDICという、小さな血管に血栓ができ、その結果、血中の血小板が少なくなる、非常に重い合併症を起こしていました。Aちゃんの状態は、あっという間に悪化していき、ICU(集中治療室)での人工呼吸管理と抗菌剤の治療にもかかわらず、入院してから2日後に亡くなりました。

日本では、風邪でよく使用される抗菌剤ですが、抗菌剤は細菌感染症に使用するものであって、ウィルスで起こる風邪には何の効果もありません。また、抗菌剤はそのカバーする細菌の範囲が限られています。それ以外の細菌には、効果がないばかりか、むやみに使うと、抗菌剤の副作用に悩まされるばかりでなく、その抗菌剤が効かなくなる耐性菌を生み出す土壌にもなるのです。ただし、風邪に似た溶連菌などの細菌感染もあるので、診断は注意を払っておこないます。

風邪をひいて、「抗菌剤を出してください。」という人に、このAちゃんの話をすることがあります。要するに、風邪には抗菌剤は効かないですよ、というメッセージを伝えたいからなのですが、それと共に、抗菌剤は、原因菌を基に、感染者の条件(年齢、病気の重症度、慢性疾患の有無など)によって種類、量、期間、投与方法などを選択し、使うもので、何にでも効く抗菌剤は存在しません。

抗菌剤は、正しく使えば正義の味方ですが、使い方を間違えると、悪の使者にもなりうるのです。重症の細菌感染症時に、血液培養、尿培養など細菌の培養を行いますが、抗菌剤を使用していたために、培養の結果が不正確になることがあります。その結果、適切な抗菌剤の選択ができないような事態になってしまいます。抗菌剤は、適応のない時は、使わないのですが、使う時は、十分量を十分な期間使用するのが原則です。

今回は非常に悲しい話でしたが、私はこのAちゃんのことを決して忘れることはできません。誤った抗菌剤の使い方をして、第2、第3のAちゃんをつくってはいけないのです。



        

ドクトル・KIMの診察室